女の親愛か情念か ーー 百人一首 右近
忘らるる 身をば 思はず 誓ひてし
人の 命の 惜しくも あるかな
百人一首の中で好きな歌は、と問われると様々に候補があって悩ましい。
しかし、一番印象に残る歌は、と問われたら、私は迷うことなく三十八番、右近の一首と答える。
中学生のときに学校の授業で使った教材には、この右近の歌の解説に「冷淡な男を、なお案じる女心」とあった。
友人と「そんなわけあるか、怖い!」と話した記憶がある。
ーー貴方に忘れられてしまった私のことはなんとも思いません。
ただ、私と愛を誓い合ったはずなのに、心変わりした貴方が
(神仏の怒りに触れないか)心配なのですよーー
前述の教材には、真心を詠んだ百人一首に選ばれるにふさわしい歌、のように書かれていた。しかし、この歌が掲載されている『大和物語』では、男の心変わりを恨めしく思って詠んだ、という扱いになっているそうである。
私も後者を取る。
恨みがなければ、この下の句は出てこないのではなかろうか。
「人の 命の 惜しくも あるかな」
まるで呪いの言葉のようである。
三十一文字に込められた怨念、とは言いすぎか。
この一首には恋の始まりからその行方、結末からの右近の怨嗟までが、詰め込まれている。歌の技巧の良し悪しはわからないが、簡単なものではないだろうと思う。
さて、ではこの「人」とはだれかといえば、同じく百人一首の四十三番、権中納言敦忠(藤原敦忠)とされている。
逢い見ての のちの 心に くらぶれば
昔は 物を 思はざりけり
ーー貴女に逢えて想いが通じた後の、今の恋しい気持ちに比べると
それ以前の私の物思いなど、ないに等しいーー
敦忠の歌の相手は誰であったのか、右近か、心変わりの君か、はたまた別の女か。
敦忠はたいそうな美貌の持ち主で、和歌はもちろん管弦にも秀で、特に琵琶の名手であったとか。
三十八歳で没しているが、「早死に」したということになっている。
それについての逸話はいくつかあるようだが、当時の平均寿命からするとそれほどの早死にとも思えない。
右近の歌からの、敦忠の「早死に」。
恋の恨みは恐ろしい、と感じてしまう。
三十八番は、私にとっては怖い歌なのである。
これまでに、頭の中に浮かんでいたさまざまなテーマを文字に起こしていきます。お心にとまることがあれば幸いです。