わかりあえないと理解したこと
私と両親の関係はよくない。おそらく、一生わかりあえないまま終わると思う。それを不幸なことだと考えるひとも多いかもしれない。
でも、私自身は「両親とわかりあえなくていい、むしろどうやってもわかりあえないのだ」ということに気がついてから、ものすごく楽になった。
父と母でそれぞれの思いは違うかもしれないけれど、共通しているのは「こんなにしてあげたのに」という愛情の押し売りだ。
中学受験をさせてあげて、希望の大学を受けさせてあげて、東京で就職することを許してあげて、結婚も賛成してあげた。
私の視点からすれば、中学受験は親に誘導された結果であり、大学は親が指定する大学ではなく自分の希望を認めてもらうために文字通り土下座をし、氷河期の不安だらけの就職をひとりでなんとか乗り切り、三十歳近い娘が結婚すると言ったときの父の第一声は「反対する権利はないのか」だった。
大学を卒業して、ひとりで就職先を決め、引っ越し先を決め、さんざん文句は言われたけれど、どうにか関東で独立して生活をはじめたとき。
初任給で紫陽花の鉢植えを父宛てに送った。
実家の財布は父が握っていて、散財癖のある母を金銭面で頼りにしたことはなかったからだ。
宛先を父にした理由は、予想通り母には伝わらなかった。父にも伝わっていなかったのかもしれない。
大喜びで電話をしてきた母に、「お父さんに贈ったんだよ」と言った私もひねくれている。ただ、母よりも父に「自立」を認めてほしかったのだと思う。父からはなにも言われなかった。
溝が深いというよりも別の島にいるくらい、心は離れている。
それに気づくまで三十年かかったけれど、今、それなりに幸せに暮らせているから後悔はない。
そして、両親にも確かに愛情はあったのだな、と納得はできている。私の望んだ形とは、かけ離れていたことが少しばかり残念なだけだ。
それでも育ててもらい、学校に行かせてもらったことは恩だと思う。感謝しているが、その感謝も伝わらない関係なのだ。