大人が破った約束は子どもに残る
普段着のほとんどが姉のおさがりだった私は、ハレの日のものでもおさがりが多かった。そんな私に、あるとき母が「浴衣を買ってあげる」と言った。
うれしかった。
「金魚のもようがいい!」
と言ったことを確かに覚えている。小学校一年生くらいだった。
買ってもらえなかった。
大学生になって、はじめて新品の浴衣を買ってもらったときに冗談交じりに苦情を言ったけれど、「そんなことあったかしら」と母はうろ覚えだった。
私の頭の中にあった、白地に赤と黒の金魚が泳ぐ可愛らしい浴衣は大人用のコーナーには当然なかった。無難な朝顔の柄の浴衣も気に入ったけれど、あの金魚の浴衣はもう手に入らないし、着ることもできない。
小学校六年生のとき、自習ノートという宿題があった。
漢字や計算の練習でも、絵をかいてもなんでもいい、という宿題に私はよく日記を書いて提出していた。何を書いていたのかはまったく覚えていない。
卒業するとき、担任の先生に呼ばれて「いいことがたくさん書いてあるから、先生がもらってもいいか?」ときかれた。
特に思い入れもなかった私はいいよ、と言って先生にあげた。
六年後、一人暮らしを始めた私に先生から電話がかかってきた。
あのときのノートに書いてある作文を、教師が読む冊子に掲載したいがいいか、という連絡だった。
お役に立つのでしたらどうぞ、とこたえて掲載されたものは送ってほしいとお願いした。
届かなかった。
掲載されなくなったのなら、それはそれで葉書一枚でも送ってくれれば、忘れてしまえたのではないかと思う。結局、小学生の私が何を書いていたのかはわからないままだ。
結婚して、夫と一緒に祖母の墓参りに行った。
寺の近くに住む伯母一家が出迎えてくれて、従姉の小学生の子どもたちとも会えた。
一緒に食事に出かけて、大人たちがしゃべっている間、暇そうにしていた子にゲームしてていいよとスマホを貸した。しばらく彼女は楽しそうにゲームをしていたけれど、操作に慣れて面白くなってきたところで店を出ることになった。
「あとでまた貸してあげるから」
そう言って私はスマホを返してもらった。
結局そのまま私たちが帰りの新幹線に乗るまで、スマホを貸してあげられる時間はなかった。
「ごめんね、あとでって言ったけどできなかったね」
別れ際、謝った私に人見知りのその子は黙ったまま笑ってくれた。
十年以上経って再会すると、彼女はすっかり大人になって人見知りもなくなっていた。
「えー、そんなこと覚えてないよー」
あのときとは違う大人の顔で笑う彼女には、私がどんなにうれしかったかわからないだろう。