調べることを止めてみる

こんにちは。

ちょっと、考えさせられる出来事がありましたので、少々。

職場でAさんと話をしていまして、Aさんと同郷のBさんがやって来ました。

Bさん 「〜のお菓子を売っている店の名前を覚えている??」

Aさん 「あ〜何だっけ」

Bさん 「Cさんに聞いたけれど、Cさんも忘れちゃったんだよね」

Aさん 「ちょっと、パソコンで調べてみようよ」

Bさん 「いや、調べたら勿体ないよ。自力で思い出したいんだよね」

Bさんは、その場を離れました。

Aさんはインターネットで調べ、回答に辿り着きました。

その後、どのように収束したかは不明ですが、中々考えさせられる内容でした。

考えてみますと、知らないことがあればスマートフォンやパソコンで調べる癖がついていますよね。
例えば、熊本の銘菓の名前を思い出せない場合・・・。
WEB検索画面に、『熊本 有名 銘菓』
と入力しますと、絞り込んで回答に近付き、ページをペラペラと眺めると、回答に辿り着くでしょう。大変便利です。しかし、それは思い出す楽しみを捨てている行為とも言えます。

先日に帰熊した際、友人とお酒を嗜む時間を持つことがありました。その際、高校時の話題になり、懐かしい記憶を手探りし、漸く当時の記憶へ手が届くと、濃淡な高揚感が沸き立ちました。僕の高校時の思い出なんて、WEB サーバにありませんから、手探りするしかないのです。

このように、容易に調べるということは、大きな欠落を生んでいるのも事実です。更には、知らなくて良い不要な情報までも、目にしていると考えます。不要な広告が傍若無人に歩き回って、僕らの欲望を刺激しているわけですから。

『知る』と言うことは、本能的な欲求だと思いますが、方法論を吟味しても良いのかも知れません。

デジタル製品で調べずに、勇気を出して他人に聞きますと、違った交友関係が生まれるかも知れません。
図書館へ行き書籍で調べますと、生涯の伴侶となる名著に出会うかも知れません。
現地へ飛び五感を使い見聞きすると、その記憶が思い出になるかも知れません。


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花子出版  倉岡 





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花子出版 hanaco shuppan
文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。

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