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「ねじまき鳥」と「カフカ」  談話して広がった関係

こんにちは。

先日、仕事場の休憩室で本を読んでいた時のことです。

別部署のあまり接点がない方から話し掛けられまして、

「何、読んでいるんですか?」

と。

「三島由紀夫さんの本です」

僕は答えました。

「おー、渋いですね」

と。

その方は年齢が二つ上で、僕とほぼ同世代。海外の大学へ進学され、フライト中は本を読み漁っていらっしゃったと。

それから、ふとしたことから村上春樹先生の本の話しになりまして、30分くらい談話しました。僕も5年ほど前に、村上春樹先生にのめり込んだ時期がありまして、ほとんど読み尽くしています。

その方は、「ねじまき鳥クロニクル」が好き。

僕は、「海辺のカフカ」が好き。

その方曰く、

「読書は読んでいる時々によって、いろいろな読み方ができるから、楽しいですよね。新たな発見があるというか・・・」

と仰っていました。

僕もその通りだと思います。

僕が書いたとある中編小説の一節です。


陽に焼けて古色を帯びた本を、一体、何度読み返しただろうか。ページを捲る度に、懐かしい紙の香りの上に印字されている文字が突如として変貌する。いや、実際は文字が変貌しているのではない。心的、体的、時間的、宇宙の変動、四季の遷移、刹那的人間関係の合縁奇縁、そう言ったものが、無垢な瞳が捉えている文字から、見えている、又は捉えている世界を新しいものへと書き換えているのだろう。それは文豪が墓から蘇生し、心情に合わせ、瞬時に書きおろしているような情景だ。文学とはそう言ったものではないか、と本を片手に描いた妄想を黙考していた。・・・・・


この一節は、一生涯心に残るような気がします。自分で書いているものですが・・・。

さておき、

過去の読書体験を思い出すと、18歳の時、熊本から京都へ出てきた際、読んでいた本を思い出しました。

高橋三千綱先生の『九月の空』

自分で買った本ではなく、母が若い頃に読んでいた本です。自宅の本棚にあったので、何気なしに鞄に放り込み、熊本を出ました。夜行バスの中、家具がない安普請なアパートで寝っ転がって、ひたすら読んでいました。時代背景は異なりますが、同じ武道を志す者として、かなり共感した記憶があります。


紙の書籍と電子書籍の違いはこう言ったところにも、顔を出すようですね。優越をつけることは出来ないでしょう。

時代を超え、母と同じ本を読んでいる自分が不思議になります。それも、母から「読みなさい」と言われるのではなく、本棚にあった本を能動的に手に取り、母と同じようにページを捲るわけです。

こう言った体験は、紙の書籍ならではの体験だと感じます。


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書きました小話を、一読頂けますと幸いです。日々のお口直しに。



花子出版    倉岡


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花子出版 hanaco shuppan
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