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採卵、したよ。二回目。

採卵してきました。二回目。
一回目、最後の方麻酔が切れてきた時の痛さが記憶にありありと残っているから、二回目はちょっと怖かった。人って未経験のことにはどーんと飛び込んでいけるけど、一度経験して痛い思いをした事には臆病になるよね。とても動物的で仕方がない。

そんなこんなで、恐る恐るの採卵二回目。結論から言うと、痛かった!涙
35個以上取れて、そのうちのほぼほぼが成熟卵。多嚢胞性卵巣症候群の人は高刺激でやったら取れやすいとは聞いていたけど、こんなに取れるなんて。案の定、いまは、卵巣過剰症候群の気配に怯えてます。採卵後から、明らかに、卵巣痛い!😂

こんな状態でも仕事は変わらずいくんだよなあと思った時に自分で自分に呆れてしまうわけで。ちょっと無理すれば仕事ができてしまうのならば、仕事行こうという選択肢しか残らない。いっそのこと身動きとれないくらい具合が悪くなればとも思うけれど、耐えられる程度にしか、体調は悪化しない。頑丈なのだよ。元来。体の作りがね。

この採卵した卵たちは、うまく8月に戻せるだろうか。ここから、また、授精卵になるまでにふるいにかけられて、胚盤胞まで育つのにふるいにかけられて。

採卵の激痛の中、思ったことは、気持ちいいSEXの結果授かる人がいる一方で、なんで私はこんな激痛に耐えながら、進めているのだろうということ。不妊治療って、考えれば考えるほど答えが見つからなくなる。例えば、すべての選択肢が尽きた時、わたしは、養子をもらうことまで考えるのか、と自分に問うたら、そこはNOなのだ。やっぱり、自分と旦那の遺伝子の子供が欲しい、そう思うのだ。変な話だよね。

わたしの思う、子供が欲しい、とはいったいどういう感情なのか。いまこの泊まり勤務という環境を自分の意思ではなく、外的要因から仕方がなく外れたように思いたいだけなんじゃないか。背中を押して欲しいだけなんじゃないか。そんなことを考えだすと、あれ、なんで私って子供が欲しいんだっけ?という問いに行き着いてしまう。

切れかけた麻酔の中で、ぼんやりとそんな思いが何度も何度も頭の中をよぎって。

同世代の友人たちもみんな、当たり前のように、結婚、そして子供を考えている。考えても仕方のないことなのか。

授かれば、いいのに。心の底からそう思うけれど、それが何故かは分からない。

この終わりない不妊治療を終わらせたい事が理由になっているのか。体力的にもうやめたいなと思っている仕事を罪悪感なく手放すための理由にしたいのか。いかにも、自己中心的で、答えのない問いなのだ。

健康に、健やかに。そして清潔に。
生きていきたいと願うのが、わたしのシンプルな願事。

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