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女の人生に紫のバラの人が必要かについての議論

わたしは、必要だと思う。

久しぶりに本棚に並べた漫画ガラスの仮面を読んだ。天性の才能をもつマヤと、着実な努力で道を切り開いていくアユミさん。

読んだ事がある人ならば、誰もが自分自身は、マヤなのか、アユミさんなのか、考えた事があるだろう。

わたしは、才能や感性の人ではないと思って生きてきたから、どちらかと言えばアユミさん的な人生かと思っていた。けれど、いまの職場にいて、あ、今日の仕事はいい仕事だった、と思えるときは、必ず理屈ではなく感覚で突き進んだ結果だったりする。

それが指し示す事は、いわゆる"適職""適材適所"と言われる所に置かれた時、人はマヤ的に生きていく事ができるという事なのかと思う。

いまの職場が向いていないと落ち込むなら、これまでの仕事の中で、マヤ的な閃きや輝きがあったかを思い返してみるのもいい。

あ、マヤだった、と思える瞬間がいくつかあるのであれば、諦めないで、そう言いたい。

しかし、マヤとして生きていくのは疲れる。
何分、自分自身を支えてくれる揺らがない自信や知性、経験がない事が多い。

だから、そんな時にこそ必要なのが、速水真澄、紫のバラの人なのだ。

圧倒的に認め、支えて、背中を押す。
時に突き放し、時に包み込み、それらは全て、マヤ(つまりあなた)の成長、幸せだけを考えてのこと。

女の人生において、認めてもらう、ということはとても重要だ。

自分で自分を認める、なんて高度なことも、最近ではブームだけれど、社会で生きていくにあたって、然るべき他人からの承認はなくてはならない要素なのだ。

紫のバラの人。
ただ、わたしを認め、尊び、支え、包み込んでくれる人。

夫でも、親でも、同僚でも、後輩でもなく。

そうして、不倫をする上司と女の部下という構図が生まれるのかもしれない。

わたしも求めている。
ただわたしを温かく抱きしめて肯定してくれる紫のバラの人を。

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