物語「一畳漫遊」 第2話 肝臓も沈黙できない⑦ (第2話の最終回)
看護師さんが少し開けてくれた病室の窓から、朝の清々しい冷気が流れ込んでくる。町立病院に転院後にはさらに体力が落ちてきているが、今のところ穏やかに過ごしている。主治医は居川先生。まだ30代前半の先生だと思うのだが、熱心に診察をしてくれて話を聞いてくれる。いろいろお薬を出して負担になるのは嫌だけどと言いながら処方してくれた薬のおかげで、鳩尾の不快感も楽になっている。
入院後に外泊ができたらいいなと思っていたが、今の体ではなかなか難しそうである。実は病院に移る前に、自宅には寄ってきた。自宅前に車を止めてもらった時、家に入ると病院に行きたくなくなるかもしれないと一瞬ためらったが、やはり家に上がった。少しお茶を飲み、仏壇に手を合わせて、家の中を少し見回してきた。どこを見ても思い出がどんどん湧き出してくる。振り返れば、過ぎた日々は確かに夢まぼろしの如き一生である。「今やらないでいつやるのだ」と言う言葉を入れたテレフォンカードを以前作っていた。自宅に立ち寄った時も、家に入っておきたい、と言う気持ちに従い行動したわけである。行動に移さずに後悔したことも多かった人生。誰しもそういうものかもしれないが、やりたいと思うなら、そしてやらないと後悔しそうだと思うなら、一歩を踏み出した方が良いと思う。
この度私が呼び戻されたのは、死の約10日前の私。この時点で自分の最後がそれほど速やかに訪れるとは、まだ思っていなかった。倦怠感や黄疸はあるものの、ケアのお陰で体調は落ち着いていたのだ。こういう時、本人も家族もその状態がまだ続くと思ってしまうもの。もし私の物語を読んでくれている方の中で、身近に最後の時が近づいている人がおられるなら、少しでも多くの時間をともに過ごしてあげてほしい。お別れをいう間もなく病状が悪化してしまうことはよくあることのようだから。
若いころは、自分の命が尽きることなど考えもせずに生きていた。壮年といわれる頃は、一生懸命仕事をしていた。ゆっくり人生について考えるなどというのは、死を意識し始めた最後のころだけ。そうならないためには、若いころから時折自分の人生について考え、その時に何をしていくのが良いのか自問自答しながら大切に日々を送ってほしいものだと思う。
私の話に付き合ってくれてありがとうございました。皆様の、穏やかで幸せな人生のひと時を祈っております。では、これで失礼。
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