弱さと至らなさ、謙遜さ
そのとき、イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
そこで、イエスは口を開き、教えられた。
「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、
迫害され、身に覚えのないことで
あらゆる悪口を浴びせられるとき、
あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。
天には大きな報いがある。
あなたがたより前の預言者たちも、
同じように迫害されたのである。」
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マタイによる福音5.1-12
年間第10月曜日
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自分が弱い存在であること、至らない部分があることを自覚して、それを謙遜さをもって受け入れていること。
一般的な「心の豊かさ」の逆をイメージすると、想像力がないとか、思いやりの心が足りないとか、そういう意味になりそうだけれど、それとは異なるのが「心の貧しさ」。
イエス様がこの場面でお話してくださっていることの、すべてのベースになっているように感じます。
いっぺんには無理でも、いつもそうはなれなくても(そんなことできたらもう聖人レベルですものね)、折々に自分の心と照らし合わせながら過ごせますように。
写真は、本河内ルルドへ向かう山道で見つけた大きな紫陽花です(*´꒳`*)
かつては長崎の神学校や修道院で受け継がれてきた、手編みのロザリオ「長崎編み」。伝統を受け継いでいけるよう、ひと目ひと目、祈りを込めて編み続けたいと思います。