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マタイによる福音書*わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ

そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。

「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。

主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。

また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。それで、その人たちは出かけて行った。

主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。

五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。

主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。

夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。

そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。

最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。

『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』

主人はその一人に答えた。

『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』

このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

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マタイによる福音20.1-16
年間第20水曜日
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40歳をとうに過ぎて、ようやく洗礼のお恵みに与った私は、5時からぶどう園へ行ったメンバーのひとりかもしれません。

それでも、神様は温かく迎えてくださいました。

ご年配の、それこそ幼児洗礼の信者さんたちも「教会の仲間が増えて嬉しい」とたくさんお祈りしてくださり、神父さまも「成人洗礼だからといって、少しも引け目に感じることはありませんよ」とおっしゃってくださいました。

こんなにありがたいことがあっていいのかしら、というくらい、いまでも感謝の気持ちでいっぱいです。

職場や、学校や、医療・介護施設、ご近所、いろんなところが、神様のぶどう園のようであってほしい。

そう心から願います。

*だいぶ前に、粒から作ったぶどうのブローチ。ひと粒ずつ石塑粘土を丸めて、彩色したのが懐かしいです。いつかまた作れるでしょうかねー(汗)

かつては長崎の神学校や修道院で受け継がれてきた、手編みのロザリオ「長崎編み」。伝統を受け継いでいけるよう、ひと目ひと目、祈りを込めて編み続けたいと思います。