救われたのは私だった
私の文章はこれまで関わってきた人や、悲しみ、後悔、やるせなさ、過ちなど、記憶のなかにある感情をひとつひとつ取りだしながら言葉を紡ぐ。
少しまえに、あのときの古い記憶が創作になったんだと伝えたことがあった。
嬉しそうな顔と優しい声に、「あぁ書いてよかった。」とすぐに思った。
そして「救われた。」なんて言うから、返事に一瞬迷った。
読者からも文章に救われましたという言葉はよくもらう。
聞き慣れたはずなのに、このとき何度も伝えてくれたこの言葉が、手探りの暗闇のなかで光る灯りに思えた。
嘘も過ちも間違いさえも星になって、新しい星座が生まれたみたいだった。
何もかも認め合いたいとは思わない。
すべての痛みを分かり合いたいわけじゃない。
ただ、いまだけは一緒にこの寂しさが交わればいいと思った。
人は生きるだけで傷ついている。
何かを背負い、守り、そして耐えている。
創作は、芸術は、その痛みのために存在していてほしいと、私は思う。
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