生涯学習がエンタメに。
ほぼ日の手帳を使い始めた。
PCに入力する方が早いのだが、どうしても書くという動作をやめられない。
自由に書き殴っていくと、集めた点と点が繋がる瞬間がある。
脳の中でもそれがいつも繰り返されているのだが、紙の上でも同じことが起きる。私はその瞬間がとても好きだ。
ほぼ日が学校を始めるらしい。
オンラインサロンかと思いきや、アプリでの展開だ。
内容を見てみると、そこはやはり糸井さんだ。
学校だけれど、自由な発想で枠に囚われていない。
私が若い頃は生涯学習は強いと言われていた。
ベネッセやユーキャンなどがそれにあたる。
手に職を付けるような資格取得を目指すものから趣味、歴史などの学習分野にまで幅広く展開されている。
お正月になると筆ペンや文字を綺麗にするための講座の広告を必ず目にする。自分の悪筆をどうにかしたいと誰もが願う一年に一度の機会だった。
ここ数年、私は年賀状を書いていない。書かないと来ることもなくなった。だから毎年、筆ペンの広告を見る度に思う。
これはもう必要ないな、と。
今までは専門学校や通信教育などで欲しいスキルの講座を受講していた。
それが対面通話によってうんと教える人との距離が縮まったのだ。
ZOOMを使ったことがない人の方が少なくなってきていると思う。
オンラインサロンやほぼ日の學校でもそうなのだが、先ずコンテンツが自由だ。今まで通信講座ではなかったようなビジネスや文化を提供している。そこに教科書を見ながらという教え方が存在しない。テレビを観るように楽しく学ぶ。入会=受講という意識さえないのではないだろうか。そして1つ共通点がある。企業が主催していたとしても、そこに集まってくる人達は1人の人に対して集まってくる。1人の何かしらのスキルや魅力を持った人に教えを請おうとする。それが例え小さな小さな分野であってもだ。
今朝タイムラインに流れてきたツイートだ。
大学が必要か否かに言及したいわけではないのだが、大学が必要か?という問いの根本になるのは既に個々が学びたいことを学べる環境にあるのでは?ということなのだと思う。
以前なら生涯学習というカテゴリに属していた知的好奇心を満たすサービスが今ではもっと細分化したカタチで個人が発信している。
個人が自分の興味のある事を極めていく。
そしてまた別の興味のある事を極めていく。
そして極めたものを他の人に伝えていく。
そんなループが生まれようとしているように思えてならない。
勉強をするというよりは、好きな事に目を向ける人達が増えるのだから、そこにはゲームにも似たエンターテイメント性を感じるのだ。
こんな時代がもうすぐ来る。ではない。
もう既にそんな時代は始まっていて、私達が知らぬ間にとても自然に日常に溶け込んでいるだけである。
強制されず、根性論でもなく、好きなことに没頭していく。
それこそが、今後価値を持つのだと思う。