「海外に行くと視野が広がる」は本当なのか
9月17日から19日にかけて静岡県焼津市の駅前商店街にてゼミ合宿を行った。私は授業の関係で参加できなかったため、今回の妄想紙では夏休みに言語化してみたことをまとめてみようと思う。
大学3年目の夏休み、例年のようにバックパック背負って海外を回ることなく、実家と自宅で過ごした。遠くには行かなかったが、振り返ると今年は今まで以上に「視野が広がった」と感じている。
「海外に行くと視野が広がる」という言葉には長い間悩んできた。私にとってこの言葉はよく耳にするフレーズで、この言葉を使わずにいかに自分の留学経験を言語化するかにこだわってきた。
「視野の範囲内で、目のなかに飛び込んでくる情報が増えても、ほとんどが意識の外で処理されていくわけで、そのことにどれほどの意味があるのだろう。どこに行っても自分が見えるもの、見えているものって限られている」と思う。
もっとポジティブに変換して言語化してみると、視野を広げるのは「相手を理解しようとする意志」だということ。新しい国に行くよりも、日常の中で異なる背景を持つ人々と対話することで視野が広がると実感した。例えば、26歳のニートやお酒好きのお坊さん、研究室で実験に没頭する院生など。彼らとの対話はどんな国のどんな人との対話よりも私にとって大きな視野の広がりとなった気がした。
一方で、「海外に行くと想像力が広がる」という言葉には共感できる。たくさんの国で過ごし、旅をした経験は、私の想像力を確実に豊かにしてくれた。(一つの経験から全てを分かったように感じてしまう錯覚にも注意が必要)
しかし、最終的に大切なのは「相手を理解しようとする意志」。視野の広さは、その時々で自分が首を回す意志にかかっている気がする。(今私がインドに行っても相手を見る意思が足りずに、視野が広がることは少ないだろうなーとか。それよりも私の視野の広がりは日本に、東京にある気がしている。)
この夏、私は視野の広がりが場所や経験に依存するのではなく、他者を理解しようとする意志に左右されることを言語化できた。新しい国に行くことも大切だが、身近な人々との対話を通じて自分の世界を広げることができる。この気持ちを忘れず、毎週のゼミ活動やカフェゼミ、ラジオなどでも相手を理解しようとする姿勢を大切にしていきたい。