ため息を 言葉にしてみよう 〜 逢瀬 〜
本多劇場でウーマンリブvol.15『もうがまんできない』を観てきました。
マンションのベランダから隣のビル屋上へ向かい、はしごの上で四つん這いの阿部サダヲさん。アツアツ出来立てドリアを背中に乗せて配達中(なワケない)。
平岩紙さんはビルの壁にへばりついてフォークをお届け(なぜそうなった)。
床から2〜3メートルほどの高さとはいえ、あの体勢、辛かっただろうに。
そう思いつつも笑ってしまってごめんなさい。
……あはは。
……いひひ。
……うふふ。
……えへへ。
……おほほ。
こんなに簡単な文字の組み合わせなのに思い浮かぶ表情は違い、その反応を引き起こした背景がわかっていれば、語らずともおおよその心情を察知できます。
ただし。
ニュアンスを読み違わないように。表情という仮面の下、素顔は別の顔だったりするから。周りの顔色を伺いながら笑ってる時、あるよね。
よそよそしい雰囲気に、困った顔から愛想笑い。
きまりが悪くてこそばゆい。返答に戸惑い苦笑い。
置かれた状況の滑稽さに自業自得だと嘯く、自嘲の笑み。
笑って(笑わせて)誤魔化すのは、本心を悟られないように。
笑いは危機に直面した時に起こる心の防衛反応でもあるらしい。
阿部サダヲさんが演じる西権造さんは、やってることはめちゃくちゃだけど賢い人だ。そして冷ややかな目で世の中をよく見ている。
皆川猿時さんが演じる神田崎と荒川良々さんのみちる登場シーンは声にならず、鼻から息を盛大に吹き出しました。皆川さんの役回りはどう反応したらいいのか、いつもワカラナーイのです。隠すことは何もないとタオルを急に取り払われつい目を逸らしたけど、馴染んできた頃には事情がわかってきて最後はちょっと笑えない。出オチかと思ったら(失敬な!)。
笑っちゃダメと言われると笑いたくなる神田崎の娘の典子。中井千聖さんが演じるのんちゃんは禁止されたことがしたくなる、そんな衝動を抑えるために代替方法で相殺し、何とか我慢しています。嫌なことに嫌だと言い、間髪を容れずに「〇〇と〇〇、どっちが〇〇?」とシュールな2択問題にして父、神田崎に問います。
(元ネタは『ウゴウゴルーガ』と聞き懐かしくてアレコレ見てきました。シュール君を地上波で再放送、なんてことはもう絶対ないんだろうなぁ。)
自己主張と葛藤を繰り返し、大人が根気よく「ダメ」と諭し、そうやって子どもは我慢を体得し成長していく。でもね、大人になっても修行は続くよ。
着色汚れを落とすことを効能に掲げた歯磨き粉で歯を磨いた後に、すぐさまコーヒーを口にしてしまう私は、我慢なんて習慣と欲求に容易く流されるものだと学習済みです。
のんちゃんは神田崎と権造さんの声、2つの「ダメ」に導かれフェンスに向かい突進します。それは意思と行動を制限されてきたのんちゃんが自由になった瞬間でもあるわけです。
ダメだよ、のんちゃん。(=じゃあ、どうすんの?のんちゃん。)
ミッションクリアでゲームを終わりにできる。ラスボスは目の前に。バーチャルなら5階建てビルから落っこちてもへっちゃら、何度だってやり直せる。
では、VRゴーグルを外したら。暗転後の「現実」はどうなっているのか。
カーテンコールで拍手をしながら、タイトルの重さを実感。
もうがまんできない
ずーっとずっとがまんしていた、神田崎の心の闇まで見えてしまったのかも。
何となくホラー映画の感想みたいになってしまいましたが、個人的うっとりポイント(ヤだぁ♡何これー)を書かずには終われません。
犬か猫かで言ったら、断然、柴犬の仲野太賀さん。私もほっぺを両手で挟んでむぎゅむぎゅしたい!ツッコミたくてウロウロしてる沢井理は、お散歩リードを見つけて嬉しくて飛び跳ねてるワンちゃんみたい。はぁー、かわいい。
相方の永山絢斗さんは美猫、顔がちっちゃくてスレンダーな体型のサーバルとか。フェンスを軽々と飛び越える(えーっと5階建てビルの屋上でしたよね?そこ)、ネコ科動物が魅せつける身体能力、そのしなやかさが羨ましい。隅田太陽の自由すぎる言動に呆れながらも屈託無く笑いかけられたら、まぁ、いいか、って許しちゃうよ、そりゃ。漫才のネタはともかく、隅田の隣でニコニコしてる沢井にジーンときました。
上演時間は2時間5分(休憩なし)。ヒヤッとしたり笑ったりしながら急流に身を任せ、私たちは一体どこへ流れつくのか。その途中、皆を一瞬で黙らせるシーンが差し込まれます。スローモーション映像でも見ているようだったし、あそこだけ時空が歪んでた。
二人が時間を支配する。むふぉふぉ♡気づけば私の口も開いてたよ。
言葉が途切れ ゆっくりと近づく唇
もうがまんできない
「逢瀬」は恋愛関係にある男女が隠れて逢うこと。古めかしい言い方だし、そのものズバリで身も蓋もなく言ったり、倫理観を重視する言葉と比べるとずいぶん印象が違います。困難を前にしてよりいっそう情熱的になっている二人(だけ)の世界(だけ)を表現するならこっちを使いたい。
「瀬」の語源は川の流れから。
舞台は渋谷。
ラブホテルや雑居ビルが立ち並ぶ猥雑な裏街。
「瀬」で足元をすくわれないよう踏ん張っている人もいれば、現代はタワマンから街を見下ろすように「淵」を覗き込んでる人もいるよね。