ため息を 言葉にしてみよう 〜彼の背中は 〜
舞台『ハザカイキ』を観ました。
4月に、それも1回だけなのに。あれから時々『ハザカイキ』が日々の暮らしにひょっこり現れ、そうすると決まって言葉に詰まります。
もしかしたら記憶を捏造しているかもしれない。でも、もうラクになりたいよ。
文章の体裁なんて考えず、迫り上がってくるモノを吐き(書き)出してしまえっ。
せわしない時代に生きているんだな。客席で文字どおり「傍観者」となりました。
舞台上に回転するセットがふたつあることも一助となって、シーンが次々と変わります。そこにはマンションや飲食店などの室内があり、パーソナルスペースを覗き見る格好です。下手には人気タレント橋本香の部屋、壁一枚で隔てた反対側には事務所がありました。上手は芸能記者の菅原裕一が鈴木里美と同棲する部屋で、自席が下手側のためか、次のシーンに備え演者がスタンバイする裏面の様子も垣間見えました。
照明は当たらず、客席に向いていない方が物理的に一時的に裏なだけで、両面とも表です。
橋本香の部屋に入り浸る人気アーティストの加藤勇。
彼は煙とともにストレスを吐き出していました。
観劇後にシーシャ(水タバコ)を検索。水を入れるボトルはガラスアートともいえるデザインで、そのフォルムに目を奪われてしまいました。こういった「くびれ」や「うねり」のある曲線モノが好きなので。リラックス効果を謳う広告には、嫌煙者ゆえの身も蓋もないことをぼやきましたが。
それをファッションと捉えるか否か。彼の背中にはアレがナニしてましたのよ。
この後、過去の犯罪が露呈します。警察署前でフラッシュを浴び、マスコミに応じる彼は別人のよう。報道では詳細を明かされず、一体ナニをしたのか、量刑もわからないまま、表舞台から姿を消します。
「火のないところに煙は立たない」と言いますが、火種や事実が見当たらなくても、奇怪なことに突然発火する現象もあるようですよ。
さらに憶測と悪意を含んだ可燃物を投入され、あっという間に大炎上。何気に発した言葉の重さに気づき、高みの見物だったはずが怖くなって……。昨今のSNS事情に疎くとも、その後の成り行きまで容易に想像できます。先にDVを匂わせるシーンがあり、心象が悪ければ「印象操作」とも受け取れますし。
終盤、雑踏に佇む人物がひとり。生存確認。そうだね、それでも人生は続くのだ。彼は一瞥を投げただけ、無言のまま立ち去ります。
「表裏」の定義は、「表面に見える事象とその背後にある事情」です。
人体の顔が「表」なら「裏」は背中でしょうか。では、裏のウラは表?
彼の背中は「デジタルタトゥー」でもあるのか。
(digital(デジタルの)とtatoo(刺青、タトゥー)を組み合わせた造語)
背負ったものは、痕は修復できても事実を完全に消し去ることは不可能でしょう。
昭和の偏屈(ごめんよ)を体現しているのが橋本浩二。
橋本香の父で芸能事務所の社長、元俳優でもあります。
「かつての『教官』時代」のネタフリに吹き出してしまいました。パイロットやスチュワーデスが子どもの憧れの職業ランキング上位に並び、「人生の勝者」というわかりやすいロールモデルがいた、そんな時代のドラマに出演されていましたね。その頃私は小学生で、放送翌日、友人のモノマネにゲラゲラ笑っていました。
名前はいつまでも残り、映像は簡単に蘇ります。アーカイブは上書きできないから彼はずっと教官のままだけど。
ノスタルジーを感じたのは束の間で、橋本の機嫌を取るために、過剰に愛想良く振る舞う加藤、こういう構図に出くわすと胃のあたりが少々キリッとします。
加藤を訪ねた後、帰路での橋本の嘔吐は、過度の飲酒が直接の原因でしょう。
このシーンが示唆するものって何なんだろうか。
私の消化不良(解釈に困っている)も原因はここ。
胃や腸の内容物を口から吐き出すという不快感と苦痛を伴う行為は、人体に備わった防衛反応です。車の乗り物酔いみたいなもので、目や耳から入ってくる情報と自分の体が感知している情報とで脳が混乱し、平衡感覚が乱れ身体のバランスが保てなくなっている、そんな状態なのかな、などと考えてみたり。
橋本浩二の(いちいち気に障る)言動は、「老害」に即認定されるでしょう。ただ、時代や世代間にある価値観のギャップに困惑している、案外そんなところもあるのかもしれません。
クローズドエンド型(YESかNO、答え方がある程度決まっている形式)で人生の意味を問うてきた世代にとって、新しい価値観を受け入れることは今までの生き方を否定することにもなりかねません。だって、オープンエンド型(回答者が自由に答える形式)の質問は、答えは多様にあるということも意味しますからね。
元俳優で現在は橋本香のマネージャー、田村修。
橋本浩二に憧れ、追いかけてきた彼の目に、小さく丸まり嘔吐する橋本の背中はどのように映ったのかな。
世のルールに則り職務を遂行しつつ、彼もまた時代のハザカイキで揺れている人です。年代は違いますが、まごつく彼に私は親近感を覚えました。理由のわからない焦燥感がわかる気がして。
一方、橋本のゲボ(実際は水だよね)を浴びたのは菅原裕一。罵声か非難か、呪いの言葉か。少なくとも喝采ではない。
カメラを構えた姿は「水を得た魚」で、眼光鋭く客席に向かいます。不意のシャッター音とフラッシュの光にドキッとしました。
「後ろめたさ」みたいなものを察知して、被写体に焦点を合わせる。それらをコラージュし、簡潔なコメントを添える。それが彼の職業で、そういう需要があるって事です。写真は事実の断片であることに違いはなく(最近はフェイクニュースなんてものもありますが)、記事の受け取り手がどう捉えようと、あとは関知せず。
仕事以外では腑抜けてて(ごめんよ)無頓着な性格であることが伺えます。生物が生命を維持することで起こる、たとえばゲップやおならなど随意的な生理現象を伴うシーンが多かったのでそう感じたのかもしれません。
彼は人より「敏感」で鼻が利き、時に相反する「鈍感」を他者への無関心の言い訳にして上手く立ちまわってきた、はずだった。それがまさか自分がゴシップの対象になるなんて思ってもみないよねぇ。嘲り蔑んできた反対の立場になんて。
彼は肩をつぼめ、背中は震えていました。
それは父娘に向かい合う形で、橋本香の謝罪会見に臨んだシーンでのこと。
「完璧な、誰もが納得する謝罪会見を思いついた」橋本香は、会見で「国民的人気タレント橋本香」という「イメージ」を損なったことを詫びます。
コントロールできなくなった行為は、行為者が結果と責任を請け負わなければならないのだ。他者が思い描いた理想像を押し付けられているにも関わらず、です。
経緯を分析し、合理性と正当性を一息にまくし立て(恒松さん、すごっ!)、こちらも息を吐く暇はなかったです。映画やドラマを倍速で見るってこんな感じ?
修羅場を乗り切った「橋本香プロジェクト」は、舵を取り戻し次のフェーズに移りました。会見後の描写はありませんが、時代の荒波を乗り越えていくのでしょう。んー、むしろバタフライで豪快に波を起こし周りを巻き込んでいく、そんな橋本香(恒松さんもね)の活躍を期待しちゃいます。
吐き出すことで、暴露した側の(隠したつもりの)本心も明るみに出るものです。
「アウティング」(暴露)とは、一般に、本人の同意を得ずに、公にしていない性的指向や性自認等の秘密を口外する行為をいいます。
今井伸二は以前、菅原に好意を伝えフラれています。その経緯を聞いて以降、二人が連む姿は気の毒で、伸二に同情してしまう。いつの世も、誰でも彼でも、片思いってどうしてこうも切ないものなのか。
当然ですが、告白された側はその事実も知ることになります。菅原が告白を都合よく利用しているようでなんだかなーだけど、さりとてスパッとつながりを切れるワケでもない。そりゃわかる。裏を返せば、予防線を引いてくれるおかげで親友として好きな人の近くにいられるんじゃないか、などとモヤモヤしていたところに。
伸二の背中越しに見えたのは「拒絶」。
心理的に追い詰められた菅原の表情は歪んでいました。
伸二の顔、怯え救いを求めている愛しい人を前にした顔は下手側からは見えませんでした。ふれてしまったんだね。期せずして主導権を握り制御不能。彼の背中には「成就」が一瞬、すぐに全てを覆い隠すような「後悔」の文字が見えました。部屋を出て行くまで、情感を背中で語る「間」にため息。もしや声にならない声で唸ってしまったかもしれない。
……しかし、これも『不同意』ってこと?
映画やドラマで見慣れていたシーンに引っ掛かりを感じた時、自分のアップデート(新機能が追加され不具合を修正)に気づきました。
菅原の笑顔は、雨の中、里美と再会したシーンで。土砂降りは二人の声をかき消すほどの勢いとなり、雨音が観客の耳を塞ぎます。わだかまりを言い合い溜飲を下げたようで、雨上がりにはスッキリした顔に変わっていました。あれだけの雨に叩かれたら傘は役に立たないし、服が濡れても、もうどうでもいいやってなるよね。
でもね、お二人さん。それ「王様の耳はロバの耳」のようなものじゃない?
じゃあさ、忖度なしの気持ちや言葉はどこで吐露すればいいのよ。誰か教えて!
(たとえ血が騒いでも、note ではライトに文章化するよう努めます。妄言多謝)