ため息を 言葉にしてみよう 〜室温〜
8月の夜、急な雷雨で最悪なことに停電してしまったら。どうにもならない時間と暑さにうんざりしてため息が出る。首筋の湿度はこんな感じ?
舞台『室温〜夜の音楽〜』を世田谷パブリックシアターで観てきました。パンフレットの表紙に惚れ惚れしてる。公演の告知がちょうどnoteを書き始めた頃で、タイトルに「〜(波ダッシュ)」を使うこと決めたきっかけでもあります。
2001年に初演、その後ドラマ版も放送されましたが、私は今回初めて観ました。登場人物はある事件の加害者と被害者、そしてその家族。実際にあった事件がモチーフになっているため、テレビ番組などで知った内容はうっすらと記憶に残っています。いったい何をどうしたらそんなことになるのか、と。なかなか重たいセリフが遠慮なしに放り投げられます。というか、怒号が飛び交いますから、あらすじも知らずに「久しぶりに生音の在日ファンク、嬉しいな。」のテンションで行ってたら、休憩時間に突っ伏していたはず。空調の効いた部屋と屋外との出入りで、気温差や湿度に体が順応できずにぐったりするみたいに。
時は、故人の命日、13回忌の夜。劇中、不意に鳴り響く風鈴が、仏具の「おりん」の音に聞こえてしまって、澱んだ空気を浄化する抹香の煙が風でふっ、と歪むとこまで想像しちゃいました。海老沢家は洋館、しつらえに和のテイストは見当たりませんが、奥の部屋に曰く付きの香炉があってもおかしくない。あの音で体感温度が0.5度下がりました、というのはウソですが、聞こえるたびに頭が冴え、意識は舞台に集中。目に見えないものって怖い。いや、思い込みと妄想力がホラーに仕立ててるのか。
遺族の海老沢十三は、何を言葉にして書籍に残したのでしょうか。ホラー作家ですから、恐怖心を掻き立てるような描写で絶望を?もしかしたら親子愛を汲み取り、読後に涙しているかもしれません。事件の詳細を知る、元少年A君、下平にとって衝動に駆られたきっかけのようですし、キオリや赤井にも影響がないはずがない。同じ本を読んでも(舞台を観ても)感想はいろいろ。行間や余白に何を読み取るかは読者に委ねられているんだな。当たり前なんですけど。
「ホラー・コメディ」なので、時々、緊張感を解くゆるっとした部分も。
第二幕は、俗世間を離れ天上界(?)にいる3人、老人ヨタロウさん、少年ハマケンとジェントルさんのシーンから始まります。ジェントル久保田さんが「ジェントルさん」として流暢に話す姿は、在日ファンクのライブで恒例の物販MCみたい。ヨタロウさん演じるイカ釣りのおじさんを、格好(特に帽子)からサイトウジュンさん(YSIG)に一瞬見間違えたのは、在日ファンクを多少嗜んでいるからでしょうか。そして曲は『根にもってます』。もうダメだ。笑った。根に持ったままだっていいじゃない。「そっち」と「こっち」が繋がっているってことだし、大好きな人に会いに行って、ちょっとくらい怖がらせたとしてもバチは当たらないよ。
最後の曲は『或いは』。これ、MVもいいんです。ステージ近くの席だったので、音楽は雨のように降ってきました。はぁー、ライブに行きたい。
ラストシーンはサオリかキオリか。間宮くんはこの世にいないサオリの名前で呼ぶけど、私はどっちなのかわからなくなりました。2人を演じる平野綾さんの、斜め上を見つめて立つ姿はとてもキレイで。照明を受け、ずっと空洞だった(ように思えた)目にはキラキラ揺れているものが見えました。真っ赤なワンピースとミュールで血色がよく見えるせいもあってか他の誰よりも健康的。何かと何かを混ぜ合わせて、結局何色にしたいんだかわからない、どんよりした色を纏っている間宮くんと対照的。この状況下で赤色から連想するものは、血、火、赤色灯とか?映像もありますが、色のイメージが感覚に及ぼす効果で温度まで変わったような気がします。そういえばテーブルの上に真っ赤なリンゴが2つ。とても美味しそうでした。
一方、12年という時間経過を体現するキオリは、自由に踊りながらも、時折握りしめる手の中には怨念でも込めているみたい。服装はウエストをキュッと絞められ(細っ!)、足元を隠すようなスカートの裾は床にも届きそう。それもボタニカル柄(これが例えば蝶々柄だったら解釈が変わっていたかも)。キオリを見ていると下平の間違いは案外的外れでもなく、言うほどおバカさんではなかったのかも、と思うんです。もし土地や家に縛られた「地縛霊」が見えるなら、自らを犠牲にする「自爆」霊や、自分の行動で身動きが取れなくなってしまった自縄自縛の「自縛」霊もいるんじゃない?
サオリとキオリ。2人ともようやく解放されたんだね。カーテンコール後、平野さんが、ヨタロウさん、ハマケンと一緒に在日ファンク(ジェントル久保田さんはトロンボーンを演奏)の新曲を歌っているところを見てそう思いました。