ため息を 言葉にしてみよう 〜嫉妬〜

心のスキマに流れ込んでくるエンタメ情報。楽しみにしていたライブや舞台が終わってしまった、その先にある虚無感を見透かされてるのかも。上演決定の告知だけで、朝はちゃんと起きられるし、労働意欲も湧いてくるってもんです。

映画『ムーラン・ルージュ( MOULIN ROUGE!)』は、TRUTH、BEAUTY、FREEDOM、そして何よりも LOVE を讃える物語。監督はバズ・ラーマン、主演はニコール・キッドマン(サティーン)とユアン・マクレガー(クリスチャン)。息を呑むほどに光り輝く美女とサーカス団でもないのに派手な格好のゾウさんがいて、空中ブランコだってあります。及川光博さんのワンマンショーツアー2022『GROOVE CIRCUS』開催期間中に、「M-1の曲が…….」というつぶやきを見かけました。M-1グランプリ初回も映画公開と同じ2001年。21年も前なんだ!

そのM-1の曲は『Because We Can』。映画ではナイトクラブ「ムーラン・ルージュ」でのショーの1曲です。見るからに、いかがわしい。その通り。なんですけど、極彩色のカンカンドレスから伸びる肢体には、いやらしさよりも日々の鍛錬が作る美を感じ、スカートに施された何層ものフリルにときめき、ダンスシーンで思わず悲鳴が(あわわ)。なんと!本編とは別のディスクには特典映像としてダンスのロングバージョンやリハ映像まで収録されてるんですよ。

「目は口ほどに物を言う」とは正にこの事。劇的な何かが起きていることがわかります。『Your Song』が凍りついた心を溶かし命を吹き込んでいく。ギリシャ神話のオルフェウスの物語からインスピレーションを受けた映画と聞き納得でした。吟遊詩人の歌声に魅了された一人、サティーンは右側の眉の動きからも喜怒哀楽がわかりとてもかわいいのです。「チャーミング」ってこういう時に使えばいいの?
 
職人やスタッフがいる舞台裏を巡りながら、『The Show Must Go On 』を歌う支配人ジドラー。涙を拭いベールを降ろしたサティーンは女優の顔に戻りその歌を続けます。劇場に生まれ変わった「ムーラン・ルージュ」で、showman2人それぞれの気概を感じるシーンです。
雨に混じって流れるのは『Your Song』(インストVer.)。小さな火種なら雨が包み込み、酸素がなくなれば消えてしまうのに。初期消火も失敗、燻っていた心は一息で燃え上がり猜疑心の塊に。クリスチャンのばか!トゥールーズの誠意を怒声であしらうってどういうことよ。

及川さんのツアーでは以前『Diamonds Are a Girl's Best Friend』がセットリストにありましたが、まさか映画のサントラをたっぷり聴く日が来るなんて。各曲に付随する感情もよみがえり、公演初日は幕が上がる前に既にもう胸がいっぱい。
いつもは開演ギリギリに滑り込みで遅刻も何度かやらかしてるのに、ホールに響く『Come What May』を聴きたくて、次の公演からは入場待機列に並んでいる、そんな自分にもびっくり(やればできるんじゃーん、毎回頑張りなさいよ)。
バラバラだったものが溶け合い一体化していくようなあの感じ。違う映画ですが、直前の『This Is Me』で気持ちが高まっていったのは、客席側だけではなかったのでは。開演前のSEに仕掛けられた「導火線」とでも言いますか、一瞬でステージに引き込む演出は、今回のライブ感想・番外編として特筆すべき点だと思います。

さて話を戻して。映画のオリジナル曲『Come What May』は、クリスチャンの嫉妬から生まれた曲で、新しい舞台の台本に「秘密の愛の歌」として追加されます。嫉妬は人を狂わせ、愛をより際立てることに。光が強くなれば輝きは増し影も濃くなりますからね。大人のfairy taleはそんな闇の塩梅がミソです。

嫉妬の炎が男の心を焼く。クリスチャンのざわつく心に、あからさまな悪意で油を注ぎ焚きつける踊り子ニニ。アルゼンチンタンゴではアイコンタクトで意思疎通を図る「カベセオ」という誘い方もあるそうですが、こんな挑発的な微笑みを振りまかれたら、ねぇ。結果はこうなりますよ。時間を持て余し、気晴らしに始めたタンゴは、ステップとターンでフロア内に溜まっていた鬱屈感をかき乱していきます。重苦しい空気はため息のせい?視線が交錯する『El Tango de Roxanne』、嵐が秩序を壊していく様は圧巻で瞬きする間も惜しくなります。

ニニの戯れはパトロンの公爵の心にも火をつけます。こちらの嫉妬はマウンティングと独占欲。クリスチャンの命と引き換えに「秘密の愛の歌」はお蔵入り、公爵が信じる(意地も少々)正しい幸福の結末で上演させます。サティーンをバックハグするマハラジャ役のジドラーの腕が鎖に見え、客席の公爵がセリフに被せてつぶやく「she is mine」に狂気を感じるほど。曲は『Hindi Sad Diamonds』、きらびやかな宴に埋もれていく、あぁぁ、ダイアモンドが輝きを失っていくよぉぉ。
はたから見ると彼らの愛は独善的で、渦中のサティーンは災難だな、と気の毒に思いつつ、このモヤっとする胸焼け感も嫉妬(jealousy)や羨望(envy)なのかも。

公演初日は多少トラブルもありましたが、天の声(『Nature Boy』歌詞の一節)で封印を解き『Come What May』復活。振り返ってサティーンの呼びかけに応えるクリスチャンのカッコいいこと!(拍手)公爵が願ったものとは違う結末で舞台は終演。大歓声の中、カーテンコールへ。
そして映画も終焉へ。最初からわかっていたことだけど。

もしも。後ろを振り返らなければ。
オルフェウスは愛しい人の手を離さずにいられたのだろうか。

古今東西、いわゆる「見るなのタブー」がベースにある物語はたくさんあります。葛藤の末に誘惑に負けてしまう心の弱さ、それが人間で、振り返る行為は大切に思う気持ちから、それが誰かを愛するってことなのかな。でもさ、振り返らなければ、今度は自分のことしか考えていない、強欲とか薄情だとか言うんでしょ?舞台と同じハッピーエンドなら、こんなに好きにはならなかった、たぶん。

映画館ではエンドロールの途中で帰った人たちがいましたが、もったいない!『Ascension /Nature Boy』から『Bolero(Closing Credits ) 』へ、リピート視聴させる秘密がそこにあると踏んでいます。初見はレイトショーだったので、翌朝も観に行ったんだ、そういえば。
暗いし誰もいないから、このままで、まぁいいか、と駐車場まで歩いた夜。21年も前なんだ……。相変わらず観るたびにクリスチャンと一緒に泣いてるんだから成長してないなぁ。