嬉しいサプライズ。誕生日の予祝い。
先日、北陸と東北の梅雨入りが発表されました。これによって、梅雨のない北海道を除いた全ての地方で梅雨入り。
この文言を見ただけで暑苦しさを感じてしまいますね。
どうぞみなさま、体調だけではなく、心の調子も崩したりなさいませんように。
さて、突然ですが、みなさまは「予祝い」という言葉を聞いたことがありますか? 正式には「予祝」というそうで、広辞苑にも掲載されているとのことです。
わたし的には予祝よりかも予祝いのほうがしっくりくるので、ここでは終始、予祝いという言葉で進めさせてください。
予祝いとは、「予」という字が指し示すとおり、「あらかじめ祝う」という行為を表す言葉です。
一般的には、小正月(1月15日)に五穀豊穣を願い、餅花(見出し画像に使わせていただいているのがこれです)を飾ったり、小豆粥を食べたりするのがこの予祝いにあたるのだそう。
あらかじめ祝い、「どうかこのことが現実のものとなりますように」や、「これから先もこのことが続きますように」と願掛けをしているわけですよね。
こうしてみると、たとえば健康長寿を願ってお節を食べたり、恵方巻を食べたり。また、七夕の短冊や七五三、ひな祭りや端午の節句に行う様々な行為も、ある意味予祝いのような気がしてくるのは私だけでしょうか?
これらは「意図して行う予祝い」といえると思うのですが、全く意図せず結果的に「あれは予祝いだったのかな?」という現象が起こることも時にあります。経験者は語る、です。
実は、この六月は私の誕生月でもありまして下旬に52才を迎えます。
アラフィフの私ですから、誕生日プレゼントなどなにも期待していません。
子どもたちの安寧が守られること。これだけが欲しいプレゼントというか、叶えたい夢というか。
神頼みなどにせず、自分の努力でそれを叶えるぞ、守っていくぞと頑張っていた先日のある日の朝のことです。
日中の仕事に出勤するため身支度をあたふた整えていた私に、すーっと長男が近づいてきました。何か言いたそうにしていながら、なかなか声をかけてきません。
「何か言いたいことがある?」
鏡の中に映っている長男の目を見ながらそう声をかけると「今日は夜の仕事はないんでしょう?」と聞いてきました。
「うん。夜のほうは今日はお休み。今日の夜、何かあるの?」と、ちょっと不安を感じながら、再び鏡の中に映る長男の目を見ながら声をかけました。ここ数年、いろんなことがあった長男でして、彼が夜、私に改まって話をしたいということは、それなりに深刻な何かなのではなかろうかと、考えが変なほうにどんどん膨らんでいたからです。
そんな私の心情を知ってか知らずか、長男がくすっぐたそうに、はにかみながら、鏡の中に映る私の目を見つめて答えました。
「今日の夜、一緒にお酒を飲まないかなって思って」
「えっ?」
轟音を唸らせていたドライヤーをオフにすると斜め後ろに立つ長男のほうを振り向きました。迷わず彼の目をしっかりと見つめながら思わずのオウム返しです。
「お酒を?」
「うん」
「お母さんと?」
「うん」
彼もまた、私と目を合わせたまま、受け答えを続けていきます。私はこの短い時間に、自分が大切な記念日か何かを忘れているのだろうかと、海馬から記憶を必死で手繰り寄せようとしました。でも、なにも引っかかってきません。こうなったら直球しかありません。
「何かの記念日だった?」
「ううん。そうじゃなくて」と言ったところで彼は口ごもりました。
――一体なんなんだろう? 最後の晩餐的なことを考えてる? お酒を飲んだあとで一家心中……とか?
もう、恐ろしい考えしか浮かびません。
――嫌だ、嫌だ。最後の晩餐だなんて、バカな考えはやめてちょうだい。
確信に満ちた妄想が膨らむばかり。私の心臓が嫌な鼓動を打ち鳴らし始めました。刹那。
「本当は誕生日の日に出すつもりで頼んでいたお酒なんだけど、説明書きを読んでいたらどうやら日持ちしないみたいで。夜の仕事がない日じゃないと飲めないだろうから、今日とかどうかなと思って」
「!!!!!」
目が点になるって、本当にあるのですよ。比喩ではありません。私の目は間違いなく点になっていました。(と確信を持って思っています)
夜、改まって話がしたいらしい長男の様子に「どんな深刻な話を聞かされるのかしら」と不安を覚えてしまった私。
最後の晩餐のあと、一家心中を考えているのではと恐怖を覚えてしまった私。
そんなちょっと前の私を「バカバカバカ!」と叱りつける私と、長男に対して不安がってしまって申し訳ないと詫びる私と、そうして。
そのサプライズが嬉しくて嬉しくて嬉しくて、身も心も天に舞う龍になっている私がいました、あの時、あの瞬間、間違いなく。
日中の仕事中、この嬉しいサプライズを励みに、より一層生きがいを感じながら働くことが出来ました。
そうして……。
仕事を終えた私が真っ先に向かったのは、家ではありません。
某アイス屋チェーン店さんです。
――誕生日プレゼントとして用意してくれたお酒を今宵飲む。
嬉しいではありませんか。特別ではありませんか。私、それを聞いた瞬間、思いました。これはとんでもない吉兆であると。
以前から知っていた「予祝い」というおまじないのような行為をそこに感じてもいたからです。
そんな私は思いました。
――誕生日ケーキを買って帰ろう。お誕生日の前祝い、予祝いだ!
私が選んだのはアイスケーキ。以前からアイスケーキの存在を知ってはいたものの、チョイスしたことはなくて。今回が初食べの絶好のチャンス。思いも寄らない予祝いの場にも相応しい。
ホールのアイスケーキを購入し、お誕生日のチョコプレートとろうそく。そして、30分だけもつドライアイスとをサービスで付けていただいて、いよいよの帰宅。
夕飯は普通に普段と変わらぬものを食べました。子どもたちの誕生日の時には、ちょっとだけ豪華な夕飯にしています。某お寿司屋さんのお持ち帰りお寿司だったり、ピザだったり、フライドチキンだったり。形だけとはいえ、少しは特別感を感じてもらえたらなって思っていて。
自分の時にお金をかけるわけにはいかないので普通にしたのです。
でもね。
一つだけ特別があったのですよ。長男が作っておいてくれた、私が大好きなポテトサラダ。
本当にいろいろとあった長男でして……。彼が前を向いて動き出したことが嬉しくてたまらなく幸せで。今、こうしてあの日のポテトサラダのことを思いだしただけで涙が込み上げてきます。
長男が用意してくれたお酒をどのタイミングで出してもらおうか悩んでいると、長男が「食事中で良いんじゃない?」と、ご飯の途中でしたが冷蔵庫から出してきてくれました。
彼が用意してくれたのは「梅酒」と「ゆず酒」とのセット。
全行程手作りだと自負をもって製造されている蔵元さんのお酒でした。発砲スチロールの中に入っていたパンフレットに、その漲る自信と誇りとが溢れており、ますますお酒を美味しく、味わい深く楽しむことが出来ました。
蔵元さま、あのパンフレットの添え置き、グッジョブです!
梅酒やゆず酒を嗜みながら、予祝い的夕飯を味わい、いよいよ冷凍庫に保存していたアイスケーキを取り出しました。
まずはろうそくを立てる作業からスタート。これが、なかなかに大変な作業で。52本のろうそくを立てようとしたから大変な訳ではなくて。大きいのを5本、小さいのを2本の計7本を立てるだけです。
大変だったのは、土台がアイスだったために突き刺すことが困難を極めた、という点です。これは盲点でした。あんなにカチンコチンに固いだなんて。「アイスケーキ」なのですから、当たり前といえば当たり前なのですが(苦笑)
そんなこんなで、みんな(子供たち三人と私)で苦笑いしながら、てんやわんやでろうそくを突き立てていた時のことです。何気なくふっと上げた視線の先に、無邪気に笑う次男の姿とそうして。柔らかい表情を浮かべながら弟や妹の様子を見守る長男の姿がありました。
ハッとしました。
私はこの光景を確かに以前見ていました。
そう、これです。
↓↓↓
5月上旬、私は夢を見ました。
いつも能面のような、それも辛そうな表情しか見せない長男が、次男にちょっかいをしかけながら柔らかい笑顔を見せているという夢を。
――あの夢を見たこと自体が予祝いだったのかも?
そんなとっても不思議で幸せな感覚に包まれながら、ろうそくの火をつけ、子どもたちにハッピーバースデーの歌を歌ってもらいました。柔らかに揺らめくオレンジの光の温かさが心の中にじんわり広がっていきました。
この幸せを守っていきたい。
現状維持を永遠にというわけではなく、綱渡りのような毎日から解き放たれ、安心して人生を歩んでいける安定した土台を一刻も早く築かなければならない。
予祝いの予祝いを体現したことで、もっともっと真剣に身を入れて努力しなければならないことを再認識しました。
あなどれませんね、予祝いのパワーは。
この出来事をきっかけに、臆することなく予祝いをしていってみようかなと思っている私がいます。
皆さまも、予祝いをしたことにより、嬉しい今があるような気がする……という経験をされたことがありますか?
意識した予祝いを皆さまも積極的に取り入れてみてはいかがでしょう?
それでは、また。
どうぞ笑顔溢れる穏やかな今日を過ごされますように。
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