しないと、してもらえない

二次創作界隈でよくある、交流をしないと評価が貰えない、と言うのは半分本当で半分は嘘だ。

私も以前はせっせかと人にいいねを送りRTをして感想を呟いていた。というのも、そうすることが正解だと疑っていなかったのだ。私は今も圧倒的に同人界隈、二次創作オタクの暦が短い。

ハマったばかりの沼でTwitterのアカウントを作り作品を投稿し始めた時、周りがこぞっていいねRT感想!とコンボを決めているのを見て、そうしなければいけないんだ!と思い込んでしまった。〜しなければならない、完璧主義あるあるの呪いの言葉。

とにかく郷に入れば郷に従え。見よう見まねで同じように人の作品を見ては評価をつけ続けた。時には明らかに義理だと思うものだってあった。それでも、そうすることが正しいのだと信じて続けた。

そしてある日、何をしてるんだろうとふと我に返ったのだ。

TLは好きでもないのにRTして感想を呟いた後、いいねの欄は遡れない。何をしてるんだろう。加えて、交流と呼ばれるそれをしていたせいで創作の時間が取れなくなった。私は神経質だ。繊細で完璧主義なので、しなければと思うとそれ以外のことが手につかなくなる。創作をしたくて始めたTwitterだったのに、気がついたら交流だけで一日が終わっている日が少なくなかった。

やめよう。

幸いにも読み専の人がそこそこ私の創作を見てくれていた。これは交流をして得たものなのか、それともしなくても自分を見つけ出してくれた人たちなのかは分からない。どちらでもいいと思う。

なんの見返りもないのに自分をフォローしてくれて、見てくれてる人を大切にしよう。そう思ってから、評価はいいねに留めた。交流ではない、いいと思ったものだけにいいねをつける。匿名の意見が届くこともあった。『フォロワーが増えて調子に乗ったんですか?』『選り好み乙』等々、スタイルを変えたことによる話題が尽きなかった。

そう考える人もいるだろうなと思う。だから返事はせずに、片っ端からブロックし続けた。匿名の意見はそのうち来なくなった。いや、今も送られてきているのかも知れない。私の目に入らないようブロックされているだけで。

匿名での意見が絶えない中、何故か相互は誰もフォローを解除したりしなかった。きっと匿名の意見は相互で今まで交流を楽しんでいた人たちだと思っていたから少し意外だった。今もその相互たちはそのままになっている。相変わらずいいなと思ったらいいねをつけるし、かといって過剰にツイートで持て囃したりしない。良いものにはリプライを送って、ゆっくり創作に取り組みたいときはTwitterから離れるようになった。心にゆとりが生まれた。

互いに評価してRTしていた頃に比べたらいいねの数は減っている。でもそれは私が相手にしてあげることをやめたからだ。自分がしないのに相手には変わらず評価してほしいなんて烏滸がましい。同時に義理でやってくれていたんだということもわかった。別に悲しかったり怒ったりしない。だって私も義理でやってたから。

自分のペースで創作を楽しめるようになって数ヶ月、不思議なことにフォロワーは増え続けている。何か作品を上げると減ることもあるけれど、それでも緩やかに見てくれている人は増えている。フォロワーの数が全てではないけれど、自分のやりたいようにしていても見てくれている人はいるのだと思うと安心する。少なくとも、望まない交流を辞めても大丈夫だったんだと思えるくらいには。

Twitterには望んで交流したい人たちもたくさんいる。いいと思う。だけどもしも周りに合わせて交流している人がいたら、思い切ってやめてみるといい。そのジャンルを支えているのは、二次創作の中心にいるのは創作者ばかりではない。読み手、ROMで二次創作を愛してくれる人たちも存在している。そういう人を認識できれば、周りに合わせて頑張る必要はなくなる。

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