やっている・できてる自分をみつけてね
いまの小学校では〝キャリアパスポート〟というものを使って成長の記録をつける、ということをしています。
この春、千葉から東京に引っ越しをしたのですが、転校してきてもフォーマットをかえて実施しているので、文科省の定めるやり方なのでしょう。
わたしの時代にはあったのかな??
節目、節目に目標をたてたり、振り返ったりするもので、記録を重ねていくことで変化を感じたり、一貫して変わらないことをみつけられたりするとても良い取り組みだなーと思ってみています。
同時に、じぶんの〝できてること〟〝やってること〟を認識するっていうのは、本人だけじゃ難しいんだなってことも感じます。
・すきなことはなんですか?
・よいところはなんですか?
・どんなことをがんばりましたか?
どれくらい、やること・やりたいことが「すき」「よい」「がんばった」の基準に当てはまるのかは、ほんとに人それぞれ。
成長して、周りが見えるようになればなるほど、人との比較でその基準は高くなるものかもしれません。
「どれくらい」かは、それは自分で決めていいことなんだ!
って、私はやっと最近になって気づいたことです。
2年生の息子が書けずにいた欄がありました。
〝どんなお手伝いができましたか?〟
お手伝いといったら……お皿洗い、お風呂掃除、洗濯物たたみ、玄関掃除、とか??
「なにもやってない」
ちょっといじけ気味に、空欄にしていた息子。
でもさ、〝お手伝い〟とはなにか?
って話だと思うんだよ。
お手伝い=この家族での生活を支えるために協力していること
としたら、家族の一員としてちゃんと果たしてる役割があるよ!
共働きの両親の帰りが遅くなっても、学童からじぶんで帰って(学童に行ってることすらすでに協力をしている!)、家の鍵を自分であけてお留守番して待っていてくれる。
エアコンのつけかたを覚えてつけていてくれる。
Amazonで届いたソープディッシャーを設置してくれてたことも(開封好き笑)
お父さんが放置したお菓子のごみも、マッタクーと言いながら分別して捨ててくれる。
出掛けるときは、どこに行くのか、だれと行くのか、何しに行くのかLINEや置き手紙などでちゃんと知らせてくれるっていうのも、親はとっても助かっている。
時々、気分がノった時にお皿を洗ってくれるし、お母さんの気分をよくするためにお風呂上がりのお茶やアイスを用意してくれることもある(大事!)
それってとても頑張ってると思うし、お母さんはじゅうぶん助かってるけどなぁ! と伝え、息子は結局、小さく〝お皿洗い〟とだけ書いて提出しました。
自分ができてることややれていること、頑張っていることって、かなりの割合で自分基準の「当たり前」の中に隠れていて、評価は自分で決めていいんだけど、だからこそ答えがなくて難しいんだよね。
大人だってみんなそれがわからない。
子どもの頃から少しずつ、自分に実は〝ある〟ものをみつける視点を持てたら最高だなって思う。母はマルつけ担当として、息子に実はたくさんあるマルをみつけるお手伝いをしたいと思います。親にできるのは、本当はそれくらいしかないのかもしれません。