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家族とは厄介なもの。それはなぜ?

 ドラマ好きですか?

 私はわりと好きで、今も結構見ています。今はいいですよね。録画することができるから、その時間に見逃がしても、ちゃんと見ることができます。

 さて、私が見ているたくさんのドラマの中に「真夏の少年」というのがあります。夜遅い時間にやっているドラマなので、録画機能サマサマです。

 このドラマは、主演がジャニーズジュニアのグループ「美 少年」の子たちで、私がゆるめのジャニオタなもんだから見てみたという、正直内容は期待していなかったドラマだったりする……(失礼か! ごめんなさいです。汗)ところが、これが結構メッセージ性強いっていうか……誰かが令和の金八かGTOって言ってたけど、まさにそんなドラマなんです。

テレビ朝日 金曜ナイトドラマ『真夏の少年~19452020』番組サイト
https://www.tv-asahi.co.jp/manatsunoshonen/

 戦争中からタイムスリップしてきた三平三平(みひらさんぺい)っていうギャグみたいな名前のおっちゃん(博多華丸さんが演じておられます)の言葉が毎回ささるんです。

いつかの回では、美少年メンバー演じる高校生がお父さんの再婚相手である新しいお母さんや、亡くなったお母さんに対する気持ちに悩み、三平さんに「家族ってなに?」と質問したんですけど、三平さんは

「家族とは離れていても片時も忘れることのない厄介なもの」

と言うんです。

私は「かけがえのないもの」とか「大切な存在」とか言うのかなと勝手に想像していましたが、「離れていても片時も忘れることのない厄介なもの」と三平さんは言ったのです。

厄介なもの! 

それを聞いて、ほんとそうよなぁ~って思ったんです。

なぜなら、
まずは親
いつの頃からか、頼る人ではなく、頼ってくる人、手のかかる人になって。さらに手はかかるが素直ではないとくる。こちらが良かれと思って言ったことが原因でけんかになるし……
私は親からすれば気をつかう必要のない「子」なわけで、いろいろなわがままを言ってくる。
「親孝行、したいときには親はなし」っていうじゃないですか。だから、やさしく…… そう! やさしく…… 自分にそう言い聞かせ、できることはやろうって思って接しているのに、どんどん頭に乗ってくる。仕事をしていない両親には曜日感覚があまりない。仕事中に電話してきちゃう。生活のリズムも違うから、こちらが仕事終わって、ダッシュで帰り、必死のパッチに夕飯を作っているドタバタの時間帯は、両親はもう食後のひとときなわけで、なんだかんだで電話をしてくる。
ここで「今大丈夫?」と聞いてくれたら…… ちょこっと気遣ってくれたら、私だって「夕飯作ってるとこなのよ」って言えるんだけど、電話が繋がった瞬間から自分の言いたいことを機関銃のように話すからトホホなことになる。そしてこっちの話はあまり聞いてもらえない。
「ほななー!」と機嫌よく電話を切ってもらえたらまだいい方。だいたい電話がかかってくるときは良い話ではないことが多い。「父がこけて起きられなくなった」とか「母が急に熱」とか、「気が滅入ってしんどい」と病み気味に、そして最後は決まって「どうしたらいい? すぐ来てくれ」と助けを求めてくる。

実家まで車で片道1時間かかるんだよ! こっちにも都合ってのがあるし、すぐ来てくれと言われたって困る! と私は言いたい。

だからスマホが知らせてくれる発信者が両親の場合、出る前にドキッとするの。ほんとやめてほしい。
で、これだけ愚痴っているにもかかわらず、音沙汰がないとそれはそれで心配になる。

まさに「離れていても片時も忘れることのない厄介なもの」

次、子ども
生まれた瞬間から心配。
泣きやまなければ「どこか痛いの?」寝続けていれば「生きてる?」と心配し、ちょっと大きくなれば怪我して心配、熱出して心配、と。学校に行くようになれば笑顔が少なくなって心配、成績が悪くて心配、とよくもまぁそんだけ心配できるなぁと笑っちゃう。
思春期には、何かにつけぼろくそに言い、そしてこわーい目で私をにらむ子どもたちに、「なんなん?!」って腹が立つ。くっそーと思って離れてみるけれど、すぐさま気になって仕方がない。
大学生になり手が離れた今、親と同様、子どもからくる連絡もろくでもない話が多い。
子どもは成長し、一緒にいる時間はどんどん減っているのに、心配はつきない。おそらくこの先も……

そして、どうしているかと気にかけている。

ほんと「離れていても片時も忘れることのできない厄介なもの」

なぜ片時もわすれることができないのだろう? と考えてみました。

で、私なりのキーワードは

大切な存在という気持ち

ただ、この「大切な存在という気持ち」、子どもに対するものと親に対するものでまたちょっと違っていて、子どものことは即答で「大切な存在」って言えるんですけど、親はというと、感謝はしているけど大切っていう気持ちが子どものそれとはちょっと違うんです。

なんで? 

で、思ったのが、大切な存在という気持ちは親から子に向かっていて、私自身は親から大切な存在という気持ちを、空気で感じ取っていたのではないかと。生まれたときから私のことを親が大切な存在と思っていてくれたから、その思いが全身にしみついているんじゃないかって。
自分のことを大切な存在と思ってくれる人には幸せでいてほしい。そういう気持ちなんじゃないかなって考えるとなんとなくと理解できたんです。

離れていても片時も忘れることのできない厄介なもの

ほんと厄介なんだけど、そんなことを思えること、それは案外幸せなことなのかもしれない。

ありがたい。

家族って厄介だけど、いいもんだ(^^)




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