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月20万円の生活

 娘はよく「私はこの家に生まれてほんまにラッキーやった!恵まれた環境で育ててもらった分、たくさんの人の役に立てるようにがんばるねん!」とまさに希望に目を輝かせて、話してくれる。そんなに喜んでいただけて大変光栄であるが、最近はたと気付いたことがある。

 娘が生まれたとき、私たちはまだ学生で、いわゆる二足の草鞋の生活だった。昼間は娘を保育園に預けて大学に通い、夜、夫は新聞配達をし、その間私は家事育児全般をこなしていた。新聞配達のお給料と奨学金で、月20万円ぐらいの収入だった。

 よく考えると、当時でも「月20万円の生活」と言うと一般的には「裕福」とは見られなかったと思うが、それでも娘は「すごく恵まれていた」記憶しか残ってないと言う。

 たしかに当時、節約などはあまり意識していなかったと思う。
 当時の学生(下宿生)の月々の生活費の平均は、仕送りやバイト代を合わせて10数万円程度だったと記憶している。ルームシェアをしていると思えば家賃は半分で済んでいるわけだし、2人(+赤ちゃん)で月20万円あれば、周りの友達と同程度の生活が十分可能だった。
 学生であれば、家や車を所有してないのは普通だし、自転車は先輩のお下がりで、学食以外の外食はちょっとした贅沢である。公園で遊び疲れた後にコンビニに寄って買った30円の大きなチョコマシュマロに、娘は目を輝かせて喜んだ。

 娘が「すごく恵まれていた」記憶しかないというのは、つまり、そもそも親に、「余裕がない」という感覚がなかったのだ(笑)

 それから十年、二十年と時は刻まれているが、不景気な世の中はいつまでたっても不景気で、近年はそこにさらに追い討ちをかける出来事が重なる。
 そんな中、私は最近になってはたと気付いたのだ。

 結局、「あの頃、月20万円で十分楽しく生活していたじゃないか」という確かな実績が、今私たちを何よりも勇気づけてくれる、一番の財産になっているということを。

 それでちょっと、その生き証人である娘に言ってみた。「あの頃、うちは月20万円で生活してたし、人によっては、うちを見て『恵まれてるな〜』とは見てなかったかもしれんで。」

 すると娘は、ちょっと意外そうな顔をして、私の言葉を反芻するように「そう言われてみれば、たしかに、そうかもしれんな〜」と言って、ケラケラ笑った。そして、コンビニのチョコマシュマロを嬉しそうに頬張った。

 奨学金の返済もまだもう少し続く。
 とにかくどうにかやっていくしかないが、まぁどうにかなるやろ。

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