人に否定されるのが怖くない人って存在するの?
最近、Xで回避性愛着障害に関する本を紹介するポストを見かけたので、2冊読んでみました。
いわく、現代には回避性のパーソナリティを持つor回避型の愛着スタイルを呈する人が増えているそうです。
ものすごく雑に言ってしまえば、人と親密になることを求めず、人に期待しない人。そして、他者から否定されて傷つくことを恐れ、行動を起こせない人。
ええ、これって日本人みんなじゃないの?
私の場合
私も当然、人に否定されること、拒絶されることがものすごく怖いです。
友達や恋人は全くいないと寂しいけど、別にいなくても困りません。
親しい人に傷つけられて失望するくらいなら、1人でいい。
読んだ本に愛着スタイルの診断テストがついていたので、やってみました。
結果は予想通り、「恐れ・回避型」でした。
傷つくことに敏感で、人と親密な関係を築こうとしない。
だけど心のどこかで愛されたい、認められたいと思っている。
だから気に入られようと愛想よく振る舞うけど、結局人を
本の中には回避型の愛着スタイルが形成される要因がいくつも書かれていましたが、私に当てはまると思うのは、小さい頃から家が「安全基地」ではなかったことです。
母親は、私を正しい人間に育てようとしてくれました。
結果的に、それなりに真面目で常識的な人間になったと思っています。
でも、ありのままの私を認めて肯定してくれたという記憶はありません。
素を見せると、小馬鹿にしたように笑われました。
笑われたくなければ、母親にとって「正解」の行動を取るしかありませんでした。
いまだに、自分の考えや何かに対する感想を話そうとしても、口からは「正解」しか出てきません。
「正解」がわからなければ、何も話せません。
自分が本当はどう思っているのか、何を感じたのか、自分でもわかりません。
それから、母親は機嫌のいい時と悪い時の振り幅が大きい人でした。
機嫌のいい時は構って褒めてくれるけど、機嫌の悪い時には話しかけただけで怒鳴りつけられる。
今日はお母さん怒ってないかな?と学校から帰るたびに恐る恐るドアを開けて、顔色をうかがいながら挨拶をする。
話しかけるのは機嫌が良くなるのを待ってから。
機嫌が良くても私が何か失敗すれば、途端に顔が険しくなり、声のトーンが下がりました。
やはり、私にとっての家は、母親の前で「正解」の行動を取り続けて機嫌を損ねないようにしなければならない、息の詰まる場所でした。
極め付けに両親の仲は悪く、2人が揃っているといつ口喧嘩が始まるかわからない。
母親という安全基地を持たないサルは、成長しても他のサルと馴染めないそうです。
家が、両親が安全基地ではなかった私が人との関わりを避けるのは、順当なことだったと思います。
一億総愛着障害?
さて、私は不幸な家庭自慢をしたいわけではありません。
ヒステリックであったり過度に心配性な母親、あまり育児に関わらない父親、不仲な両親、そんなものはありふれていると思います。
むしろ、両親が2人とも穏やかで愛着スタイルが安定型で、かつ家庭でも学校でも主体性を摘まれない教育をされた子なんて、そっちの方が少数派なんじゃないでしょうか。
みんな多かれ少なかれ親から望んだ反応が返ってこないとか、学校で周りから笑われて傷つくとか、友達や好きな人に拒絶されるとか、そういう経験を経て対人関係に臆病になるものだと思います。
少なくとも私の知っている限りでは、積極的に人と親密に(仲良くではなく、親密に)なろうとして、傷つくことを恐れずにガンガンアプローチできるような人はいません。
もちろん、私の知らないところでそういう人がいるんだろうということは想像がつきます。
それでも、今の風潮というか、空気感としては、人と関わりたがらない人が多数派であるような気がします。
愛着「障害」だなんて言ってしまうといささか言葉が強いですが、人と人とのあたたかなつながり…みたいなものは、だんだん重視されなくなってきているのではないでしょうか。
そんなものよりもお金、自由な時間、自分個人の幸せ。
私も、今のところは誰かと愛し合って家庭を築いて子供を育てて…ということには興味がありません。
自分の両親を見ていれば、そんなことはどだい無理なんだとわかります。
でも、愛情とか信頼を価値がないと切り捨て、一生1人きりで生きていく決心もしきれません。
傷つくことは怖い。人に否定されないことが行動指針になっている。
それはきっと一生変わらない。
傷つくことを恐れず踏み出してみよう!なんてことはできっこないけど、断っていた誘いに乗ってみるとか、捻くれるのをやめて人に興味を持ってみるとか、人と関わる足がかりができたらいいなあと思います。2025年。