【書く習慣】Day03 立ち止まって気づくこと
3月から無職になって約1ヶ月が経った。
色々思うことがあり、悩み抜いて退職に至ったわけだけど、ちょうど結婚のタイミングと重なってしまい、寿退社もどきのような状態となってしまった。
今回は次のことを決めずに退職したため、先のことは何も決まってない。自分で望んだ状態。自由なはずなのに、日を追うごとに焦燥感が強くなり、なんだか日々心が安定しない。
しかし、なぜ焦燥感を感じるのだろう?まぁ、職がない状態なので当然といえば当然とも言えるが。
そこで気づいたのが『次の進路が決まっていない状態』に人生で初めてなっている、ということ。
中学の次は高校、そのあとは大学。何事もなく卒業して就職。1社目在籍時に異業種転職を決意し、職業訓練に通うために会社を退職。退職月の翌月から職業訓練に通い、訓練修了してすぐに次の就職先が決まり、前職で働き始めた。
今まで常に次の進む道が決まっていた。人生で初めて次の目的地が決まっていない状態。高速道路で目的地に向けて飛ばす車を横目に、目的地が決まらず下道で宛もなくノロノロと車を運転しているような感覚だ。いや、どの道路を走っていいかも分からず、途方に暮れてコンビニの駐車場で停車している感覚に近いかも。
今までは、立ち止まることが怖かった。立ち止まったら二度と歩けなくなりそうで、とにかく次の行き先を見失わないように必死だった気がする。
でも、少し立ち止まってみたからこそ気づけたこともあった。
『人は1人では生きていけない』ということ。
無職になって宅急便を受け取る機会が増えた。宅急便は運送業の方々が運んでくれる。スーパーに行く機会が増えた。スーパーに行くと、品出しをしている人や、レジを打ってくれる人がいる。スーパーの帰り歩いていると、工事をしている人や保育園のお散歩にもよく出くわす。バスに乗ると運転者さんが運転してくれている。
当たり前だけど、私の日常は沢山の人に支えられて成り立ってるんだ、ということに改めて実感した。
どんな仕事をするにしても、どこかの誰かを支えているんだなと思えた。働くって大変だし、悩むことも多いし、泣きたくなる時もあるけどなんか尊いなと、缶コーヒーのジョージアのいつかのCMを思いだした。
とりとめないけど、そんなことをぼーっと考えていた午後のできごと。