【書く習慣】Day04 トトロには会えないけど、大人もなかなか悪くない
子どもの頃、「となりのトトロ」が大好きだった。そう、言わずと知れたジブリのあの名作だ。物心がついてから、繰り返し観た数少ない作品の一つである。
大きくて可愛いトトロ、ふかふかの猫バス、おばあちゃんの畑でとれた野菜の瑞々しい描写。色んな場面に惹きつけられ、何度も何度も繰り返し観ていた。
何度も観るうちに、『いつかトトロに会ってみたいな〜』そんなことを思うようになっていた。
どうやって会えるかは分からない。近所には大きな森もないし、立地的にもさつきやめいの住む環境とは違いすぎる。でも、トトロの曲の歌詞の中に
「子どもの時にだけあなたに訪れる 不思議な出会い」
とある。子どもでいるうちは会える可能性があるかもしれないと、希望を持ち続けたまま成長していった。
月日は流れ、小学校高学年になった。まだ心のどこかで希望は持っていた。しかし、ふと「子ども」の定義に疑問を感じた。「子ども」というのは何歳までを指すのだろう。
法律的には20歳から大人だから、19歳までは「子ども」となる。
でも、高校生はもう大人に見えるし、中学生まで?ジブリの作品はなんとなく10歳前後の主人公が多い気がする。ということは、既に私はジブリの中の「子ども」からは外れている可能性がある…。自分で考えたなりの結論が出た瞬間、すごくショックだったのを覚えている。
ある程度は成長していたため、流石に本気でトトロに会える、とは思っていなかった。しかし、「子どもの時にだけ あなたに訪れる」という歌詞を聞いてから、大人はトトロや色んなワクワクと出会うことすら出来ない、すごくつまらないものなのだと勝手に解釈していた。
そんな私はにとって、「子ども」から外されてしまった私の今後の人生はただただつまらなくなる気がしてすごく悲しかったのだ。
それから学生時代を経て、色んな経験をして私は大人になった。
確かに、大人は大変だ。仕事には責任がつきまとうし、結果も求められる。頑張れば褒めてもらえるわけではない。学生のような長ーい休みはなかなか取れない。
でも大人になってみて、感じたのは、『大人も案外悪くない』ということ。
学生時代は「教室」が全てだった。あの小さな空間が世界の全てで、楽しい学校生活を送れるかどうかは全て「教室」での人間関係にかかっていた。
なんとかうまく立ち回り、振り返ると青春と呼べる日々も過ごしてきたけれど、常にどこか息苦しさが付き纏っていた気がする。
大人は自分で「選択」をする自由がある。世界はとても広くて、自分の足でどこへでも行くことができる。自分次第で環境も「選択」できる。色々大変なこともあるけど、『大人になってからの方が人生楽しいかも』なんて感じる日もある。
トトロには会えないし、疲れはなかなか取れないし、食べすぎるとすぐ胃がもたれるけど、大人もなかなか悪くないよ。
「子ども」から外され絶望していた当時の私に伝えたい。