英語を、やめたい!~英語学習のメリットと、それらについて思うこと~
「人生に一度、海外に住んでみたいと思ったから」
これが、私の「どうしてワーホリしようと思ったの?」に対する答え。もちろん嘘じゃない、本当の本当である。このために小学生の時から今まで英語学習を途切れずにやってきたと言っても過言では無い。
でも、めちゃめちゃコアな答えとしては、
「もう英語、やめたいです!!!」
これ。
英語を学ぼう!!
英語学習が、ずっとブームだ。
それは日本国内で、ということもあるし、私の中で、という意味でもある。
人気の趣味や習い事といえば「英語学習・英会話」が躍り出て、”英語を話せるってスゴい”という風潮もある。
いや、それは本当に苦労の実った結果であってスゴいことなんですけども。
英語学習の始め方、コツ、メソッド、続け方、モチベーションの保ち方。
素晴らしい英語学習を始めて続けていく方法についてのコンテンツは死ぬほどある。オンライン上にも、本屋や図書館、学校、電車の広告、ともすれば街のポスターにも。
でも、辞め方についての言及は無い。
反対に、英語学習のメリットはたくさんある。
・英語を通して世界を広げ、たくさんの人と話せるようなる。
・英語を読めることで、情報源が日本語のみに比べ何倍にも膨れ上がる。
・旅行がしやすい。
・仕事で使えばキャリアアップにもなる。
・外資系の会社に勤めたり、海外移住のきっかけの大きな一歩になる。
・国際恋愛・結婚が選択肢に入る。
沖縄の海くらい遠浅な私の理解でも、ざっとこれくらいのメリットが英語にはある。
他にも英語自体でなく、学習の中で”何かを学ぶ楽しさ”や”一緒に頑張る仲間”を増やしたりすることもあるかも知れない。
そう、英語学習万歳!
そう思って、子供の頃からもう10年以上英語を勉強している。英語を夢見ている。
でも最近、社会人になって少し経ったあたりから、ふと立ち止まることが増えてきた。
英語ばっかりだな、私。
他の趣味である読書1つを取ってみても、本を読む時間があれば「この時間で英語を勉強できるな」と考えてしまって読み始められない。読みたい本のリストは長くなるばかり。
映画は好きだけど、邦画だともったいなく感じてしまう。
英語じゃないから。
英語の勉強のために映画を見る。ストーリーも勿論追うけど、作中の英語表現が気になることの方が多い。
なんだか、英語学習が生活を圧迫している気がする。
学習歴15,6年にして、初めて立ち止まった瞬間だった。
英語学習で失うものってある?
あるとき、バイリンガル教育についての記事を読んだ。
それは幼少期からのバイリンガル教育に比較的反対の立場の記事で、すごく大雑把に言うと、
”人は言葉を覚え、その言葉を使ってより深い思考を獲得していく。
言葉は思考に先立つ。
イメージで言うと、10割日本語で言葉を覚えた子供は10割の言葉で思考ができるが、言葉を覚えるタイミングでバイリンガル教育を行うと、日本語脳と英語脳が5割ずつになり、どちらにしろ5割の言葉でしか思考ができなくなる。
外国語教育を行うのであれば、まずはしっかりと母国語での思考ができるようになってから行うのが良い”
というものだった。
なるほど。納得のいく説明だ。
ん?というかこれ、幼少期に限る話でもなくないか・・・?
英語学習って、基本的に翻訳だと思っている。
単語or文章を見て、日本語訳で認識する。そして覚える。
慣れるとだんだんと日本語訳の前に英語のまま文を組み立てたり、思いついたりする。
でもこれだって、自分の中ですでにイメージがある英語文や単語である。
つまり、”最初から意味も概念も物体も知らない物の英語”というものはそうそう出会わない。
この英語はこれの事を言ってるんだよ、と言われて、
「そもそもこれって何・・・日本語でも知らんのだが」
となることはそうそう無いと思う。
(料理名とかスパイスとかはたまにある)
もっと言うと、
「英語学習の中で”知識”そのものを得ることはほぼ無い」
と私は思っている。
いや、英語自体が知識だし、そもそも英語を学習しようとしてるんだから、基本はそれで良い。
でもまあ、大きく ”生涯の中での学習”に目を当てたとき、英語のレベル上げをする時間で他の知識を得られるのでは?ということ。
簡単に言うと、
Aさん:実物の犬を見る(犬の概念を獲得する)
↓
「イヌ」という言葉を覚える。
これを”知識を得る”として、
英語学習は
Bさん:犬という概念を獲得する。
「イヌ」という言葉を覚える。
イヌ=Dogと覚える。
これを色んなパターンで繰り返していくことだと思う。
でもこれ、Bさんがイヌ=Dogを覚える間に、
Aさん:実物の猫を見る(猫の概念を獲得する)
↓
「ネコ」という言葉を覚える。
をしたらどうだろう。
そこには、犬と猫の”知識”があるAさんと、犬(Dog)の”知識”があるBさんがいる。
犬と猫の知識があるAさんは、2つの違いを比べられる。形が違う、毛の色が違う、鳴き声が違う、など。何かしら思考をする。
でも、Bさんは猫のことを知らないので、比べようが無い。猫のことを知るまではCatという単語も知らないし、思考も何も無い。
こういうことが、起きてはいやしないか?
知識量で言えば、英語に翻訳する時間でもっと他のことを学べるのでは?
これは確かに極端な例だ。
私はもう、DogもCatも知っている。
英語を勉強したのだから、せっかくなら英語を使って”知識”を増やせば良いのだ。それはどういうことかと言うと、英語を使って何かを学ぶということだ。今まで全然知らなかったことを1から英語で学ぶ。そうすれば英語で”知識”を得たと考えられるけども・・・よくよく考えると、
英語を使って学びたいことが特にない
物理、宇宙、芸術、料理、なんにしろ、私が英語で学びたいと思うものは無い。それらはほとんど(私の趣味としては十分な量)日本語で学ぶことが可能だからだ。そっちの方が理解が早いし、深い。物理を学ぶのに、英語でも同じ理解を得ようとしてまずは専門用語の英語を学ぶ必要は無い。ぜーんぶ、日本語の本に分かり易く書いてある。
いや、そもそも・・・そもそも知識の多さって必要か?
犬(Dog)だけで良くない?追加で猫も知りたい?
・・・知りたい!!!!!
ここで大前提にたどり着く。これは英語学習とかそれをどんだけ続けてきたとか、それ以前の私個人としての大前提。
私、知識を得るのが好きです。
犬をDogとして覚えるだけじゃなくて、猫も知っていたいです。
だから、翻訳作業の繰り返しみたいな英語学習を鬱陶しく思い始めてしまっているのかもしれない。
英語学習で失うものはもちろん無い。
何かを得るために学習している。
でも同時に、同じ時間で得られたかもしれない別のものにも目がいってしまう。
なんにせよ、人生の時間を英語学習に使い続けているのは確かだ。
自分にとって、英語学習のメリットは?
私にとって、英語は知識を増やすことに関してはあまり役立っていないことが分かった。
では他にはどんなメリットが考えられるのか?
ちょっと考えてみよう。
・英語を通して世界を広げ、たくさんの人と話せるようなる。
・英語を読めることで、情報源が日本語のみに比べ何倍にも膨れ上がる。
・旅行がしやすい。
・仕事で使えばキャリアアップにもなる。
・外資系の会社に勤めたり、海外移住のきっかけの大きな一歩になる。
・国際恋愛・結婚が選択肢に入る。
これが先ほどの英語学習のメリット一覧。
1つずつ見ていく。
・英語を通して世界を広げ、たくさんの人と話せるようなる。
→そもそも、言葉というのはコミュニケーションツールの1つだ。
先ほど知識を得られないと書いたけれども、英語を学ぶ本質は基本的にこのメリットに集約すると思う。
人と喋りたいから英語やってんだろ、という話。
でもさ、聞いてよ。
私、あまり人間全体には興味があるけど個人にはあまり関心が無いみたい。
最近気付いた。
特に英語話者と話をする時、あくまで英語学習のため・異文化理解のための会話をしているな、と思う。その人を知りたいのじゃなくて、その人が置かれている普遍的な環境や文化が知りたいのだ。
相手のパーソナリティについて興味があるわけでは無いので会話が単調になり、そのような会話の中で異文化理解にまで発展することは希。
先ほども書いたけど、英語というのは誰かと繋がるコミュニケーションコンテンツの1つ。
コミュニケーションを取りたいと思わなければ、その役割は大きく削がれるように感じる。
・英語を読めることで、情報源が日本語のみに比べ何倍にも膨れ上がる。
→コミュニケーションをとることにおいては、私は周囲の本当に限られた人(日本人が多い)で満足するし、その他大勢に興味が薄いことが分かった。
次は私の大好きな「知識を得る」ということについて。
つまりインプットだ。インプット大好き!
本については洋書を読めるということだ。単純計算で、この世における読書可能な本の数が何万倍にも膨れ上がることになる。
でも、そもそも日本語の本だけでも人生をかけて読み切れないほどの本がある。わざわざ母数ばかり増やさずに、その時間で本を一冊でも読んだらどう?と思ってしまう。
他には、英語のサイトやyoutubeを楽しめる、というメリットがある。
ただ、得る情報が多ければ幸せをより感じるかという点では最近疑問を感じている。
英語ができたとして、世界中全てのニュースに目を通したり、今より何倍もyoutubeを見るようになったりはしないと思う。
映画にしたって、日本語字幕が導入されていないものをわざわざ探して見るほど映画好きというわけでもない。
ただ、Tedtalkを聴くのは大好き。じゃあその為に英語を勉強し続けるかと言われると、ただ聴いて楽しむだけで十分だと思える。
このメリットも、これ以上の英語学習の理由にはなりにくい。
・旅行がしやすい。
→旅行英会話で十分。
旅行前に見直すくらいで、毎日やり続けることもない。
・仕事で使えばキャリアアップにもなる。
→今のところ使う予定が無い。
もし使う職に転職すれば、より専門的にそのとき学習し直した方が良さそう。予定が無いのに続ける必要は特にない。
・外資系の会社に勤めたり、海外移住のきっかけの大きな一歩になる。
→勤める予定無し。
海外移住も予定が無いので、予定ができればやり始めれば良い。
・国際恋愛・結婚が選択に入る。
→28歳になった今、そもそも恋愛が人生からフェードアウトしている状態。架空の人物のために英語学習を続けていくのもなぁ。
それで恋人も出来なかったらどうしてくれよう。
ペットの犬に英語で話しかけ続けるとか?
頭でぐるぐる考えていることを文章にしてみると、やっぱり学習を続けるよりも今の英語力のキープくらいで良い気がしてきた。
メリットに対して、あまりにも人生の時間を割きすぎている気がする。
もっと他にやってみたいことがたくさんある。
なにかをやってみたい気持ちも、大切にしたい。
英語を勉強しないといけないから他を削らないと、と思い続けているのは、ちょっと惜しい気がしてきた。
ゴールを作るしかないのが、英語学習!
とはいえ、10年ほど英語を勉強してきている。
参考書も買ったし、周囲の認識も、私自身のアイデンティティにも英語は大きく関与している。
専門学校の時は、解剖学の授業で迫り来るTOEICに向けて黙々と勉強をしていたりした。
それは、”私は英語が出来ないといけない”という、強迫観念もあったのではないかと思う。
以前読んだ科学雑誌に出てきた心理学用語がある。
サンクコスト効果をご存知だろうか。
最近だと正常性バイアスなどとともにポピュラーな心理学用語だと思う。
サンクコスト効果というのは、いわば「もったいない症候群」だ。
人はお金、時間、労力を掛ければ掛けるほど、それを価値があるものだと思い込もうとする。
よく参考に出されるのは恋愛におけるサンクコスト効果だ。
これは、人が恋愛対象として”お金の掛からない人”よりも”お金の掛かる人”を選びがち、というもの。
お金の掛かる人に貢げば貢ぐほど、
「これだけお金を掛けたのだから自分のことを好きになってくれるだろう」「自分がこれだけ貢いだのだから、良い人に違いない」
と思い込んでしまう。
そして、
「これまで費やしたお金を考えると、もったいなくて関係をリセットできない」
となり、次のプレゼントを買ってしまう。
他にも自分で買ったブランドもの、仕事、料理とかもあるかも・・・時間を掛けて作った方がより美味しく感じるとか(3時間も掛けたローストビーフが不味いなんて認めたくないし)
最近話題の ”無痛分娩に反対する意見「痛みを伴った出産の方が我が子に愛情が湧く理論」” も、結局はサンクコスト効果なのかもしれない。
あんなに痛んだ代償の我が子が、可愛くないわけない。
(と、思いたい)
これが、私の英語学習にも影響している。
なまじ英語学習に時間を掛けたという認識があるので、「英語が今の生活にそれほどメリットがなく、今後もなさそう」ということを心の底で認められないのではないかと思った。
英語に価値を見いだしたことが過去にあり、今もある程度見いだしていて、他人もそれを認めていることを客観的に見る機会がある。
「やっぱ続けといた方が良い気がする・・・せっかくここまで上達したんだし、それに今更英語をやめたら、私、何にも無いし」
こう思ってまた時間を割き、他にやりたいことを後回しにしてまで英語に固執する自分が簡単に想像できる。
そもそも、趣味をやめたいなんて思ったことないし。
どうやってやめれば良いだろう?
そもそもサンクコスト効果は、もったいない、と感じてしまうわけなので、つまり「もったいなくなかった」と思えれば良いのでは?
ピアノの発表会のようなもんだ。
ピアノを練習して、華舞台で演奏して、それでやめてしまった、という話はたまに聞く。
練習するだけして、ある日突然やめるより、舞台があった方が区切りがつくだろう。
よし、発表会が、集大成が、区切りが必要だ。
英語学習、何を区切りにするか?
「海外に住む」
これだ!旅行とか、そんなちゃちゃっと終わってもらっちゃ困る。こちとら10年来の趣味を華々しくやめるのだから。
語学学校にも行こう。やるだけやる。英語を使う。
思い残しそうなことを、潰していく。
それで、終わろう!
これが、私が作り出した「英語学習のゴール」だ。
私はこのワーキングホリデーで、「英語を今後も使うか」の可能性を探る。
無さそうなら、これが最後。
もちろん偶発的に機会が訪れたり何か必要になったりすれば別だが、それ以外に毎日毎日英語に向き合うのはもうやめる。
というか、英語学習に時間を割くのをやめたい。
趣味をやめるって大変だなあと思いつつ、なんだか自分らしいやり方だなとも思う。
今を楽しんだその後、また新しい何かに挑戦してみたいと思っている。