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療養中の思考。


 「時間の問題でしたね」


 短期間に二度、この言葉を言われるだなんてなかなかだなぁと他人事のように感じながら、私は何日も向かわなかったデスクでこれを、少しずつ書いている。からだを大事にしてきたつもりだった。でもあくまで、”つもり” だったらしい。


 ちょっとした不調だと思っていた。春先からなんだかずっと、だるかった。頭痛もいつものことだと思っていた。眼精疲労もそうだと。ただ、何か月も不眠が続くのにはさすがに堪えた。


 強制ストップ的な目に見える異変が表出したのは7月の下旬だった。病院(いきなり西洋医学に頼ること)を良しとしないので、できる限りは尽くしたけれど結局ダメで、現在は鍼灸院に通いながら治療、自宅療養している。ちなみに命に別状はないのでご安心あれ。精神的にちょっと辛い日もあるけどまぁ大丈夫。


 運動はダメ。不要不急の外出はしないこと。そしてなるべく安静に。動けてしまうから動く。これが良くないらしい。大人しく先生の指導通りにできるだけ徹し、先週末、やっと10分のウォーキングを許可された。


 長年のからだの酷使、心の酷使、そして目の酷使によるものと言われた。3時間に及ぶ初診で、「頑張り屋さんですね」とも。心当たりしかない。そんなにからだに鞭打ってきたという自覚はなかったが、問診を受けているとなぜだか不思議とからだのほうから「そうだよ、そうだよ」と言われているような氣がしてきて、このからだの全細胞に申し訳ない氣持ちでいっぱいになった。


 責任感が強い私は、仕事を休んでまで療養するということをに対して、ネガティブに考えてしまっていた。仕事を休んで療養するような症状だと思っていなかったのだ。手術するわけでもないのに。今もその氣持ちがゼロになったとは言えないけれども、長い目で見たら、今休んで根本解決しておかなければもっと周りに迷惑をかける。人生残り何年あるか知らないが、その内のたった数週間か数カ月、ちょっとゆっくり生きたっていいよねと、自分に言い聞かせてなるべく動かないようにしている。


 ふと立ち止まって、こんなことになるとは思わなかったなぁとしみじみ考えている。「大病になるのも時間の問題だった」とは、なんてこった。


 実はその数週間前、歯科で同じことを言われた。10代の頃に治療した歯の詰め物が取れたのだが、レントゲンではうつらない際どいところに虫歯があったらしい。「激痛が起こるのも時間の問題でしたよ」と。


 「時間の問題」とはよく聞く言い回しだが、2度とは言え立て続けに言われると多少なり慄くものがある。


 私はずっとPC画面と睨めっこする仕事をしてきた。建築図面を毎日描き、ライターになってからはひたすら文章を書いた。おそらく皆さんやっていると思うが、ブルーライトカットの眼鏡だって当然かけるし、ありふれた対策はしてきている。


 「なんか眩しいな…」と思い始めたのは今年の春。PCの画面がいつもより眩しく感じ、外に出てもなんだか眩しい。特に曇りの日。空が白んでいて明るいと特に目が沁みて、この夏はサングラスをかけて外出するようにしていたし、これ以上どうしろっていうんだろうと途方に暮れている。今はとにかく、あまり目を使わないようにしている。だからこれも、時間をかけて書いてはいられないから、地味に少しずつ書き留めている。


 「働き方改革」という言葉は個人的に好きではないのだが、私にもそれを適用する必要が出てきているように感じている。目を酷使しない働き方って、なんだ?どうしたらいいんだ???


 ライターをしている以上、時間制限を設けるくらいしか対応策はないように思うし、ライターでなくとも多くの現代人には難しい所業のように思われる。現状、一日何時間までなんて時間制限を課すことは現実的ではない。仕事量を減らせば可能ではあるが…。


 「え、仕事変えたほうがいいってこと?」「PC使う頻度が少ない仕事ってそりゃあるけど…」などとぐるぐる思考は巡るのだが、正直どうしたらいいのか皆目わからない。


 治療のおかげで快方に向かってはいるが、まだまだ症状は緩和されない。良くなれば今まで通りに仕事はできるだろう。しかしそれを続けていて良いとも思わない。「私はどうしたらいいんだろう。いや、何か良い方法があるはず」と、答えは出ないまま、今日も自問自答は繰り返される。


 病はギフトっていうけど、正直そう思えない日もある。しんどいものは、しんどい。
 しかし「時間の問題でしたね」とでも言われなければ、今後の自分の在り方、とくにからだとの付き合い方を真剣に考えることもなかった。だから神様、ありがとう。


 とりあえず今は、仕事のことを深く考えないようにしている。考えても答えの出ないことを考え続けたって、私は幸せにならない。


 ただ一つだけ、わかっている。


 今おそらく人生何度目かの、分岐点にいるってこと。






 私にとって素晴らしい未来を選択するための、分岐点に。





 

 


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