事実を観る技術〜わたしのスピリチュアル
おはようございます!
ながことの「ことり(華乃)」です!
ここに来ていただきありがとうございます。
さて今回は
わたしの感じている「スピリチュアル」というのを
自分的にもメモしたいので
綴ってみようと思います。
わたしはだいたい50歳を過ぎてから
以前から意識していた「向き合い」を
丁寧にするようになって
(「向き合い」についての詳しくは有料note「あり方のお稽古」を。)
53歳でこれから寄り添う
伴侶との劇的な出逢いも成就させ
別のステージへの世界が
はっきりとひらけてきました。
わたしのゴール設定に
「伴侶」「パートナー」「パートナーシップ」
がとても大切なテーマ、必須項目だったので
この出逢いは
50歳からのわたしのステップアップへの
大きなギフト&合図でした
起伏の激しい現実だった
以前のわたしと全く違うのは
恐れや迷い不安が限りなく希薄であること。
どんなことでも受け止め、
どのようにしたらよいか?
「体」が知っているので
いつも落ち着いて行動できるということです。
簡単に表現すると
「ぶれにくい」でしょうか。
精神的なこと
見えない部分を語ると
どうしてもスピリチュアル的な要素が
入ってきてしまうのですが
体験してわかったことは
スピリチュアルでいわれていることは
嘘とか本当とか
あるとか無いとかではなく
当たり前のごく自然のこと…だと感じています。
「自然の理」そのもの
といった方がいいのかな…。
以前、わたしもどこかで書いていますが
わたしのスピリチュアルは
「事実を観ること」にほかなりません。
スピリチュアルを探求した結果
「事実を観る」技術を身に着けたといっても
いいかもしれません。
・・・
スピリチュアルを
言葉にして語り出すと
「知識」になり
知識は知識のレベルを超えることはなく
それなりに理解されるだけ
嘘だ本当だいろいろ意見がでるのも当たり前ですし
信じる信じない
いろいろあって当たり前です
それでいいと思います
人はその時に
その時の必要なように
受け止めているはずだからです。
大切なことは
スピリチュアルに限らず
もしも何か「知識」を得たならば
それを「体験」できるよう
自分でさらに探求し、行動、実践することです。
この行動、実践が運命の分かれ道だと感じています。w
パートナーのながさんと生活するようにもなって
あらためて感じているのですが
のびのびと生きている方たちは
このあたりの実践が
意識してもしてなくとも
できているということです。
この方たちは
とてもスピリチュアルな出来事でも
スピリチュアルとしてとらえていません。
当たり前のこととして
捉えています(笑)
だからうまくいく・・・のかもしれません。
彼らは考える前に
行動しています。
そしてその「動き」が
とまることはない…。
今を充足感で満たしつつも
次の成長への何かを捉えつつ
体の感覚(直観)で
一見無駄な行動でさえも
ひるむことなく
果敢に行動し続けます。
その姿には
勇気も勢いも感じる。
いわゆる成功者ってそうですよね。
だから体力もあります。
先日、最近頻繁にご一緒するスピの講師が
「体力は財力」とおっしゃていましたが
合点がすごーーーくいきました。w
・・・ということは
スピリチュアルをしっかり体得して実践するには
この世的なフィジカルな部分「体」のメンテナンスも必須ということになります。
食事、睡眠はもちろん
筋トレだって大事です。
スピリチュアルを極めようとすると
どうしたってこの世的な要素も
お粗末にしてはならない
となるのがわかります。
わたしたちは
ボディを携えたエネルギー存在。
どっちもないがしろにできないということ。
こんな感じで
どんどんわたしのスピリチュアル「事実を観る技術」は
体験しながら深まるばかりです。
20年以上スピリチュアル業界にいても
自分が体験しなければ気づかなかったことです。
体験にまさるものはありません。
そしてその「体験」はすべてがオリジナル。
皆さまもどうぞ
オリジナルの体験を楽しみながら
心地よい自分らしい自分の生き方を
横臥していただきたいです。
結果
そのひとりひとりの力は
この世界を一番強力に
ハッピーオーラ―で包むから・・・です!
…最後まで読んで頂き
ありがとうございました♪