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せっかく買ってきたケーキを投げる人の話

考え事が大好きな
私の頭の中で、
長らく魅力的な命題として
君臨し続けていた話がある。

それは、どうやら有名な小説の
一節に由来するみたいなのだが、

(たぶん村上春樹の
「ノルウェーの森」の一場面)

ある人が恋人に駄々をこねる。
「私、ケーキが食べたいの! 買ってきて!」
そんな彼女のために、恋人はケーキを買ってくる。
「はい、君の好きそうなケーキを買ってきたよ。」
すると、彼女は恋人が買ってきたケーキを投げてしまう。
そして、不機嫌で拗ねた様子になった。

原文はちょっと違うけど
大体のシチュエーションは
こんな感じ(うろ覚え)。

ここまで読む分には、
「え?なんで投げるん?」
という驚きの印象だけで
終われるのだが、

問題は、その後の展開(解説)の
内容である。

ケーキを投げつけた彼女は、恋人にこう言って欲しかったのである。
「ごめんよ。君はもうケーキを食べたい気分じゃなくなっちゃったんだね。」
この言葉で、彼女は自分が恋人に愛されていることを実感するのであった。

「、、、、え?」
この展開、
謎すぎやしないだろうか?

食べたい気分じゃ
なくなっちゃった?

その言葉で
愛情を感じるとは?

もう理解できなさすぎて、
逆に考えるのが楽しくなった
この摩訶不思議な命題。

でもある時、
とある方の記事を読んで、
少しだけ私の謎が解けた。

要は、
「気分じゃなくなっちゃった」
という言葉通りの内容が
大事なのではなくて、

自分のわがままが恋人に
許されたコトにこそ
意味があるらしい。

「それでも恋人は
私を捨てなかった。
呆れて離れるコトはなかった」

という事実にこそ、
恋人が自分を愛している
証拠を見出すのだとか。

「そうやって相手の愛情を
どうしても試しちゃう」

といったコメントを
その記事の方は書いていた。

「なんと。想定外の発想」

私にも恋人を試す発想はある。
でも、私の場合、
「恋人を試す」行動として
真っ先に頭に浮かぶのは、

「どれだけ話し合いに
真摯に応じてくれるか」なのだ。

別人格が交流する以上、
摩擦が生じるのは仕方のないコト。

それでも一緒にいたいと思うなら、
互いの妥協点を見つけ
歩み寄る努力を
惜しまないでいてくれるはずだ。

というのが、私なりの
乙女チックな発想である。笑

いやあ、同じ「恋人を試す」
シチュエーションで
こんなにも歴然とした違いが
生ずるものかねえ、

(あの時のあの人の発言は
そういう意味だったのねと
今更に発覚したなあ、)

と一周回って感心してしまった。

どちらの発想も
間違ってはいないと思う。
恐らく、スタンダードが2つ
あるだけなのだ。

辞書にある意味だって、
大抵は2つ3つぐらい
あるものだ。

でも、最初にどちらの意味を
思い浮かべるかは、
かなり致命的な差異に
なりそうである。

すれ違っちゃうからね。

と、私はこの話の
謎の解決と共に学んだ。

自分とベースが
似ている大切さって、
つまりは、
そういうこと。

ではでは。








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