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我愛羅が好きすぎる件

昔からナルトに出てくる
我愛羅が大好きな私。

今日はその推しに対する
好きが溢れたので、
もう力説しておく。
(でもね、案外にシンプル)

※一応、ネタバレ注意。

我愛羅の好きなシーン

①デイダラとの戦闘シーン

戦っているところが好きというより、
最後の判断が大好き。

風影という国を護る役割に
最後まで大変忠実で、

「己の捕獲<砂をどける」

の判断は、国を護る目的を考えると
非常に合理的だったと私は思う。

だって、風影の後釜なんて
自分でなくても
何ら問題ないからね。

先代が亡くなれば、
次が選ばれるのみだ。

風影として国を護る必要はあるけれど、
風影としての自分をあえて護る必要はない。

そればかりか、
自分が手に入れば、
とりまデイダラは目的達成で、

運が良ければ、
国を襲い続けず
そのまま立ち去ってくれる。

デイダラひとりで来たあたり、
目的は国の陥没というよりは
自身の回収だろうから、

デイダラが変なサディストで
ない限り、
立ち去る路線は十分期待できる。

ならば、砂をどけるのが
目下の民の命を護るためには最優先。

残りのリソースは、
砂をどけるのに使おう。
それならば、まだできる。

我愛羅の脳内は、
こんな感じだったのかなあと思う。

つまり、

砂をどける判断は
単なる優しさではなくて、
戦闘の目的を冷静に意識した結果だと

私は捉えている。

非常に合理的。

自分自身すら1つのコマ。
目的の達成を目指し、
その場その場の最善を尽くす。

冷静な良いリーダーだなあと、
地味な親近感も湧き、
ついカッコイイ〜と
思ってしまうのだった。笑

(自惚れですね〜笑)


ちなみに、私は
変な自己犠牲の精神は大嫌いだ。

だって、そんな判断は、
悲劇のヒロインじみた自分に
酔いしれているだけで、

誰も幸せにはしないと思うからだ。

少なからず存在するであろう
自身を慕ってくれている人を
自身を傷めつけることで傷つけるだけ。

何もプラスを生まない。
ならばそれは合理的でない。
単なる自己満。

ってコトで、
私は復讐劇に明け暮れ
仲間や家族の心を踏みにじる
サスケが大嫌いである。笑

あれぞ典型的な感情的男。
「まず状況をよく考えろよ」
って言いたい。笑

我愛羅の砂をどかすのは、
そうゆう自己犠牲の精神から
来たものではない。
だから、好感が持てる。


②復活後、ナルトとチヨ婆に感謝するシーン

良いリーダーは、
周囲の存在に感謝できる人が多い。

これはもう、
人生経験上、間違いない。

我愛羅は、自身がチヨ婆から
命を引き継いで復活した時、

自分がそんな対象になるとは思わず
驚きもしたが、
同時に、誠心誠意の感謝を捧げた。

チヨ婆自身は、
生前のほとんどの期間、
我愛羅を嫌っていたのだが、
(確かね。うろ覚え)

最終的には自身の命を
我愛羅に譲ったのである。
(自ら、進んで、ね)

加えて、我愛羅は、
親友のナルトに
自分から手を差し伸べて
感謝と友好の握手をする。

いやあ、このシーン、
個人的に激アツというか
めっちゃイイ。最高。

我愛羅が砂で
恥ずかしがるナルトの
手を寄せるんだよね。

いやあ、何というイケメン。

チヨ婆はナルトと
彼を慕う仲間のおかげで
我愛羅への見方を改めた。

単なるヤバイヤツではなく、
風影として国を護るに
相応しい人物だと認めたのだ。

だから、ナルトなしに
自身の復活はあり得なかった。

我愛羅的には、そう捉えて、
他人の心を動かせるナルトを
心から尊敬しての握手だったのだと思う。

あとは自分を「本当に」慕い、
仲間を巻き込んででも
動いてくれるナルトの想いへの感謝。

これぞ、純度100%、
マジの「ありがとう」だ。

この変化と行動をね、自分ではなく
自分亡き後に自分を慕う他者によって
実現する彼のリーダーとしての人望よ。

その源は、他者の存在に
きちんと感謝する姿勢にあったと
私は思う。

実は納得すれば
とっても素直に感謝して信頼する。

いやあ、カッコイイ。尊敬。
イケメンです。
だから、私は、
他人に感謝できる人が大好きだ。

我愛羅、好き!


以上、我愛羅が大好きな理由
について、
簡潔にだが熱く語ってみた。

好きなキャラは、
自分と似ているとか
言ったりもするが、

本当にそうだったら
超絶光栄です!!

※つまり、
私は我愛羅を
成熟したINTJだと思っている。w


ではでは。











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