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明日の安心は確かな保証から

コロナウィルスの感染による、命の危機は突然訪れます。感染防止の為に自粛を徹底してリスクを抑えることしか、今の私たちにできることはありません。軽症で回復する人もいますが、残念なことに毎日多くの人が亡くなっています。これ以上、愛する人が失われないように、これ以上、悲しみが広がらないように、ただそう願うばかりです。

こんな時代が来るとは思いませんでした。
「もしも」の時のためにと思い、この様なメールを送ることにしました。
もちろん押しつけるつもりはありません。
読んでいただけるだけで感謝です。
お返事もスルーで結構です。

突然に訪れる「死」は今まで生きてきた「命」の幕切れですが、その時のためにどの様な備えができるのでしょう。私という存在は入れ物である体から離れても、どこかでいつまでも生きることを知っています、そのうえでお願いがあります。

「あなたの神に会う備えをして下さい」

このことが、死んでからの永遠を何処で生きるかを左右する大切な選択になるのです。どうして備えをする必要があるのでしょうか、

何が起こるか分からない明日を保証する
確かな安心を誰もが必要としています。

「人は一度死ぬことと、死後に神の正しい裁きを受けることが定まっている」と聖書に書いてあるからです。
天国は本当にあるし、地獄も存在します。
もし地獄が無いのであれば、神の正しい裁きも必要がないし、このメールも意味のないものになります。この後の私の長い訴えに付き合うことは時間の無駄です。


何故、私たちの死の問題に聖書の神が関わってくるのか、疑問が生じますがそれはつまり、
神さまは私たちの天のお父さん、になる訳です。

「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された」創世記
母親のお腹のなかで神さまは、私たちを造られました。赤ちゃんは神さまから授かった大切な命です。私たちもそのひとりになるわけです。

つまり、母親が父親がひとりであるように、
聖書に記されている神さまは、天地創造の創り主で、唯一のほんとうの神さまなのです。

また、人は多くの場合、死という現実に直面した時に、解決しなくてはならない重大な問題があることに気付くのです。神さまの前に赦されていない「罪」です。

私たちを造られた神さまは、私たちを「愛しています」けれども、「罪」を決して見過ごすことのできない聖いお方なのです。これは聖書が私たちに伝える大切なメッセージです。

私たちを愛しておられる神さまは、私たちが神さまの愛の中にとどまり、平安を持つように願っています。

ですから2000年前、遠いあのクリスマスの日に
「救い主」を贈って下さいました。

神のひとり子、イエスキリストが私たちの罪のために、十字架に架けられて死にました。

それが十字架の救いと言われています。

それ故に、「信じる者は救われる」と言われている訳です。
私たちが受けるべき罪の刑罰はキリストが身代わりに受けられて完了しています。私たちは赦されるます。

ただ、「信じる信仰によって救われる」と聖書が語っています。ですから「天国」に行くことができるのです。ただそれをお知らせしたいのです。


突然に訪れる死は、摂理として受け入れるしかない無力な私たちです。
神さまの愛と罪の赦しを受け入れて、天国行きの約束を頂くならばこの病気とも希望を持って戦えます。

イエス様は、生きておられ、病の中でも計り知れない慰めを与えて下さいます。
たとえ、肺炎でいのちを落とすことがあっても、天国で待っているから安心して下さい。と、家族の人に慰めを与えることができます。

自粛をしていても、いつ感染するか分かりません。その時から隔離がはじまり入院したら、
お話しできるチャンスは無いと思います。もちろん回復して退院できるのであれば、そんなに嬉しいことはありません。

宗教のお話しではなく、人間のいのちと永遠についてのお話しであることをご理解ください。

「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(イエスキリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 
            ヨハネの福音書