6年前のブログが繋いだ奇跡
私は現在50歳。夫婦二人と保護犬のトイプードル レオと一緒に暮らしています。今から6年前になりますが私は、じいちゃんとマルチーズのハナとじいちゃんが100歳で亡くなる前の約4年間(2011年~2014年)一緒に暮らしていました。どっぷり4年間介護生活に明け暮れた日々を過ごしていました。その生活については またこのnoteで振り返ってみたいなぁと思っています。
今回はちょっとした奇跡みたいなことが起こったので書いてみます。
昨年末、休眠状態の私のブログに2件の不可解なコメントがほぼ同時に書き込まれました。内容は・・・
「私の上司がおじい様と同じ魚雷調整班にいた可能性があります。隊長さんの名前を教えていただけませんか?」
「私の父は魚雷調整班にいました。兵学校の●期生です。一緒ではないでしょうか?」
私が2014年に投稿したブログに対してのコメント。
当時はじいちゃんの持っている資料を読みまくって、じいちゃんの戦争体験を少しでも知りたくいろいろ調べたりもしたけど、今となっては正直興味ないし、生活はワサワサしてるし、人間関係も広がりそれなりに充実した日々を過ごしている。じいちゃんのことは都合のいい時だけ思い出し、墓参りもテキトー。6年前の介護どっぷり、狭い世界にいた私とは違う。
だから、このコメントを見た最初の感想は、
「めんどくせー、胡散臭い。新手の詐欺?」
それでも、いい子ぶりっこの私は政治家がやりそうな手段をとりました
「調べておきます。時間をください」
我ながらいい一手を打ったと自己満足し、放置しておこうと決め込んでいました。しかし、頭の隅っこにこびりつきモヤモヤした日々を過ごしていました。
私が返信して5日後、また部下の方からコメント。
無視。
翌日、娘さんからコメント。
これも無視。
モヤモヤがヤバいに変わり、逃げ切れないなぁと思っていた矢先、とうとう、向こう側の人たちが粘りに粘り執念で
確たる証拠を見つけました!!
な、な、なんと!!
怪しげなコメントをしてくれていたのは
じいちゃんの隊長殿の娘さんだったんです!!
どんな錬金術師を使ったのか、他人の事に口をツッコミ
私にコメントまでしてくれていたのは
隊長殿の会社での部下の方だったんです!!
驚きと、感動と、恥ずかしさと申し訳なさといろんな感情が入り交じり
パニックになり、その日は夜ご飯は食べられないと思ったほどでした。
(実際はしっかり食べました)
しかも、隊長殿はご存命!100歳!
チマタではSNSで人を傷つけたり、個人情報の漏洩に怯えたり世知辛い事件が後を絶たない世の中ですが、時を超えて、私とじいちゃんの隊長殿が繋がりました。しかも、繋いだのが隊長殿の方から
隊長さんは兵学校も出られているエリート。
じいちゃんよりも6歳年下でしたが、107名の部隊の長!
学歴もなく一番下っ端ので貧乏人のじいちゃんとは天と地も違うお方!
隊長殿のことは絶対で、そう気安く話をできる立場でもなかったはずです。そんな、じいちゃんにとって敬ってもあまりうる方の娘さんのコメントを無視していたかと思うと、じいちゃんは元より、ばあちゃんにも申し訳なくなんちゅう失礼なことをしたものかと猛省しました。
(隊長殿の部下の方が最初に私のブログを見つけて娘さんに連絡をされたそうです)
確たる証拠を叩きつけられ、雷に打たれたような衝撃を受けそれまでの私とは打って変り、最優先で私は娘さんと執念の部下の方と連絡をとり
見つけていただいたお礼と感謝をくどくどと何度も何度もしつこいくらい、無視した非礼を挽回とせねばとにメールやLINEでやりとりしました。
ただ、無視していたことは微塵も書けずここで初めて懺悔いたします。
本当に申し訳ございませんでした。
娘さんからはすぐに、隊長殿が作ったDVDを送っていただき見ることができ
じいちゃんの戦争を詳しく知ることができました。
6年も前に書いたブログがこんなことになるなんて思いもつきませんでした。呑気なじいちゃんが6年も経って隊長殿を見つけ出し私に新たなステージを導いてくれました。
noteを書いてみたいと思っていたのですが、なにから書いていいかわからず、右往左往していた私の背中を押してくれました。
かなり手荒な押し方ですが、ここまでしないと私が動かないことを知っていたのでしょう。じいちゃんには感謝しかないです。
じいちゃんは戦後、2年間捕虜となり地獄の日々を過ごし、帰還の船には隊で最後の最後に隊長殿と一緒に乗っています。隊長殿は帰還後、4年もの間、巣鴨収容され更なる地獄を過ごされています。
日本に帰還して74年、隊長殿は今まだ生きています!
生きている間に繋がることができて本当によかったです。
見つけてくださったお二人に改めて感謝いたします。
ありがとうございました。