どこで道を間違えたのか
ふと、私はどこで人生の選択を間違えたのかと考えることがある。あの会社に入らなければ、あの時もっと早く辞めていれば、若いうちに結婚していればどうなっていたんだろう、と。
外出が恐怖になるなんて、人の目がこんなにも怖いと感じるようになるなんて、思いもしなかった。
私は毒親が暮らす実家だけはどうしても出たくて、実家をでて一人暮らしをしているけど、そもそも実家にずっといたらもうちょっとマシだったのかもしれないなんて思ったりもする。
地元は噂話と芸能人のスキャンダルくらいしか娯楽がない、とんでもない田舎だ。昔、就職活動でとある会社に面接を受けに行ったとき、地元のことを話したら「あそこは人が住むところではないですよね」と真顔で言われたことがある。とても失礼で腹が立ったけど、でも合ってる。何もないところだ。
あの田舎で、世の中のことをなにも知らずにいたら、なんで自分ばっかりこんな苦しい暮らしなんだと惨めな気持ちにはならなかったのかもしれない・・・なんて思ったりする。
私は20代で、ものすごく辛くなったとき、失踪しようかと思ったことがある。全部嫌になってしまったのだ。仕事も、私の足を引っ張る事しかしない親も、何もかもすべて。あの時、思い切って失踪していたら私の人生は変わっていたのだろうか。
もう就活面倒だ、どうせどこ行っても一緒だし、と合わない仕事を頑張り続けていた。あの時、もうむり!と全部投げ出していたら、もう少しいい道を進めていたんだろうか。
あの時こうしていれば、もう少しこうしていればと色々思い返すけれど、やっぱり最後に思い至るのは、あの親の元に生まれた時点で失敗ということだ。
親らしいことをしてもらったことなどない。気に入らなければ殴る、思い通りにいかなければ癇癪を起して怒鳴りちらす。地獄のような実家。あの家に生まれた時点で私の人生は明るくなんてなりようがなかったんだろう。
親のせいにするな・・・まぁそうだと思う。成人したらすべて自分の責任だ。でも、何かあった時に、自分には必ず味方になってくれる人がいる、と思える人生はとても強いと思う。自分が辛い時、さらに追い打ちをかけるように追い詰めてくるのが毒親だ。
そして私は、ASD・境界知能という、どうがんばっても社会で活躍できるような、稼げるような能力はない。以前の記事にも書いたことがあるけど、雇っていても「生産性がないから無駄」とまで言われたことがある。
どこで道を間違えたのかと何度考えても、あの家に生まれついた時点で終わりという結論に至る。もう考えるのがばからしくなってやめようと思うんだけど、無意識にグルグルと頭の中を駆け巡ってしまう。この無意識にグルグル動く思考が苦しい。毒親が私を苦しめるように、私が私を追い詰めて苦しめているような気がしてしまうのだ。