サンボマスターのあるべき姿について(※やや過激)
僕は人生において何度もサンボマスターに支えられてきた。あの姿のサンボマスターだからこそ叫べるロックンロールがあると僕は考えている。
しかし、あるライブで近藤洋一がリッケンバッカーを弾いているのを見て、本当にこれでいいのか、という疑念が生じた。
そこで、今日はサンボマスターの理想の姿について考えたい。
まず、山口隆について。
ギターはやはりGibson historic collection les paul special だと思う。もはやEpiphoneでも良い。
黄色のレスポールは平和を歌うにふさわしいと思える。
時折青いテレキャスを使っているが、あのがむしゃらさや魂の叫びにテレキャスは必要ない気もする。
次に近藤洋一について。
先にも書いたように事の発端は近藤洋一のリッケンバッカーであった。
僕が彼に求めるベースはフェンダーのサンバースト辺りである。
実際、彼のベースは主にフェンダーのリッケンの二本柱といった感じである。
ここで、リッケンバッカーという楽器について話しておきたい。
リッケンの使用者といえばポールマッカートニーを筆頭としたイギリス(を主とする)のベーシストを思い浮かべる。
その特徴的なシェイプと互換性が極めて低いパーツの数々や高価さから素人には非常に手が出しにくい楽器の一つである。(これを使っている部活の先輩は大学でジャズサークルに入った)
このように、リッケンというと少々癖のある音楽的嗜好を持つアーティストが使うイメージが僕にはある(多くの人がそうであるように)。
話を戻して近藤洋一というベーシストがリッケンバッカーを使うことについて、彼らサンボマスターの音楽的方向性とともに考えていきたい。
彼らの音楽は3人でひたすらにがむしゃらにギターを、ベースを、ドラムをかき鳴らし、愛と平和を叫ぶことにこそ本質があるように思う。
愛と平和を歌ううえで、その歌う当人たちは派手であっていいのか、尖っていていいのか、ということである。
ここまでの文章からわかるように僕はそうは思わない。シンプルに、まっすぐあるべきだと思う。
ならば、スタンダードな楽器を持つことこそが、彼等を、彼等たらしめるのではないか。
(もちろんストラトキャスターもテレキャスターもスタンダードではあるが。)
つまり、ここでのスタンダードなベースとはやはりストラト型をさすのである。
最後に木内泰史について。
ここまで長々と話しておいて大変恥ずかしい限りではあるが、僕はドラムについての知識に乏しいのでここに書くことはほとんどない。
今後新たな意見が出ればまた書こうと思う。
最後に一つだけ。
色々と書いてきたが、僕は決して今のサンボマスターを嫌っているわけではない。むしろ最も好きなアーティストの1つであると言っても過言ではない。
事実、何度も心を救われた。
いつかサンボのライブ行きたいなぁ…