[映像教育について]
汎企画は映像制作を志す若手への教育と支援を行ってきました。スクールでもないインターンでもなく独特の「私塾」という言葉が近いかな
手前味噌(身内味噌?)ですが、なんとなく卒業した彼らはいろんなスカウトを受けたりシネマカメラマン、監督、モーショングラフィッカー等になり大活躍中です。
今回はその汎企画・私塾の話
塾だけど授業料は一切取らないし、逆にトレーニング明けに現場にでてアルバイト料を支払いどんどんプロとしてスキルを上げていく。
すべてはここから始まった…
大切なフィルムを救ってくれた大学生「シャト」君
昔、mixiという国産snsが流行ってました。
そこに私の出身「帝京大学 映画研究会」のコミュニティがあり、そこに現役の学生から連絡がありました。
「部室の整理をやるのですが、部室に置いてある昔のフィルムをジャンク(捨てる)する予定なのですが、僕はこのフィルムが先輩方にとって大事なものかと思ったので連絡いたしました。」
映画を愛し現代っこなのにフィルムの意味が解るシャト君という学生には「ありがとう」しかなかった
僕は彼らに会いに大学(八王子市)下のガストに行った。
現役生は3人、連絡くれたシャト君、モヒカンのイカつい学生、モヤシのようなS君
卒業後20年たったオッさんと現役生の邂逅。彼らに現役生の映画制作などの情報を聞いたりして、その日はそんな感じで終わり
それにしても・・・フィルムというのはとても大切な媒体、昭和学生の青春が幅8mmのフィルムに焼き付けられている!
大事なものは卒業したら持ち帰りらなきゃ(同期のKもな!)
そのフィルムサルベージ事件から1年程シャト君から久しぶりに連絡があり、あの時同席していたモヤシS君が映像のプロになりたいから汎企画を紹介してくれとしつこくいわれたらしい・・・
それなら会いましょうと
シネマバー「グリソム・ギャング」にて
今は閉店し伝説となった百合ヶ丘のシネマバー「グリソムギャング」(35mmの映写機が併設された世界でも珍しいバー)で落ち合うことに
グリギャンの店長・西村君は僕の映研時代の一期後輩で店内は部室感満載でS君に会うのはぴったりの場所だった。
しかし、西村も現役学生の来店にはしゃいで映画談義が続いた。で、バーでは彼の真意が聞けず…
バーを出て深夜に駅前のラーメン屋でS君の真意を聞いた。
コンビニバイトにも落ちる位コミュ力が弱いS君は本気だったが、そこから彼の挑戦が始まった。
そのS君の頑張りは学内にも影響を与えS君の後輩のYやNも調布事務所のドアをノックした。
↑ 2012年頃の弊社恒例の花見、華の90年組も修行中
ちなみにコミュ力偏差値が低くて面接とかがダメだったS君は今やメジャーなライブなどを撮影するENGカメラマン(でかいカメラを扱う職人)でバリバリ活躍。映像で人生を変えて一発逆転した彼は今でも尊敬すら感じる、逆に映像をやっていなかったら彼はどうなっていたのだろうか...
グリソムギャング西村君も2020年6月ついに新たにシネマバー「バスティング」をオープン
若松監督の教育理念に感化され・・・
なんとなく始まった私塾
師匠若松監督の制作会社は「プロダクションスコーレ」名古屋の映画館は「シネマスコーレ」(監督が立ち上げた劇場)
スコーレはギリシャ後で「skholē」 英語の「school」の語源になっているらしい。
ただ「skholē」の意味は「たんなる余暇ではなく、精神活動や自己充実にあてることのできる積極的な意味をもった時間、また、個人が自由または主体的に使うことをゆるされた時間のことである。」
若松監督はきっとこういうイメージで名前をつけられたのかと思う。スコーレという言葉が好きで影響を受けたし、若松監督は映像(映画)教育の第一人者であり、そこで学びを得て名をあげた監督や俳優は枚挙にいとまがない。
自分は短い期間で中途半端だけど若松監督に学びを得た事は人生の財産だと思っています。
うちの教育は若松メソッドがどこかに流れてる…のかな
私塾は今は紹介でなく公募制でたまに募集します。
2020年シーズンも多くの応募がありましたが大学2年生一名だけ採用
実は本格的にスクールを作ろうとした事もあったけど、頓挫しましたが、僕はめげません。
このnoteで再び若手映像制作者に何かを伝えられたら…
天国の若松監督は「やってみろよ」とおっしゃる気がするのです。
株式会社汎企画 代表取締役 香月達行(48歳)
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