真意はぼかしても大体感じ取られる
根っこのところで性格が悪い人。
そういう人がいたとして、表面的には善良に見られたいとする。そういう人は話してる内容(言語的な表現)に気を使う(というか、それ以外取り繕えない)けれど、内容はつねに意図に基づいているのだから、どうしたって言葉の配列や選び方、文脈や韻律、声色・顔色に違和感が出る。うまくやれば一時的にマスクできるけれど、長期的に見たら「なんだか嫌な感じだな」と思われる。
結局のところ意図とか真意って把握されるものなので、悪いなら悪いなりに毅然とした態度で悪口を言ったほうがいい。悪口に生産性や倫理があることってままあるし、恐れずにいうことでむしろそれが道徳的な印象になることも多い。
たぬかなとか、そういう真意や悪口の性質を逆手にとって芸風に落とし込んでる。毅然とした態度で下劣な罵倒を繰り返すことで藁人形を言い負かし、「勝った方が正しい=たぬかなは正義」というシンプルな野生を植え付ける。
シークレットブーツがいい例だけど、悪印象をひた隠しにすることって本当に印象が悪い。そしてバレる。性格が悪い人が善良になれることはありえない。善良になりたいという真意が根ざしてる時点で悪人とも言い難いから。
嫌われることから逃げたいのに何かを嫌ってばかりの人は本当にきしょい。実際ねちっこい「アンチ」がつく人の大体はシークレットブーツを履いている。性悪は武器であり爪なのだから、性悪としての人生をエンジョイしよう。君だけの最狂の人生を作り上げろ!