このごろ
書くべきこと、と考えてしまうと書けなくなるなんてわかっているのに
何を書けばいいか、ちょっとわからなくなっている。
これはいわゆる「書き筋」が落ちたとというやつと
それだけではなく、言語化の能力が落ちまくってるというやつだ
ピンチである。
最近、推している某グループのメンバーがコラボしたってことで
ずっと避けていた某バンドの発言を聞くことができた。
エッライ熱量でぶちかまされる
「生きてるならやりたいことやれよ」的な、言葉。
うん、正論、そう思う。
君らがいうことに意味がある。
わかる。
若者に向けられた若い人たちの魂の叫びが
そこを通り過ぎた私にどう聞こえるかっていうと
いくつかパターンはあると思うのだ
・いいねえいいねえ、もっとやれー!って、完全に自分と離して聞く
・私はもうそういう年じゃないって、完全に自分に当てはまらないものとして聞く
・そうな、あの時そうすればよかったな、と痛む胸を抱えたりする
→そうな、あの時俺もそうしたよってできるひともいる
・馬鹿正直に、そうだよね!と、奮起しながら聴ける
どのやり方も、もちろん、間違ってない。
でも、多分、一番アホなのが、そのままストレートの「そうだよね」で
……私は、その、アホでしかない、わけだ。
(なんかね、私、実年齢より精神年齢20も30も低い気がするんだよな)
時間の経過や、現状を把握しないで、考慮に入れられないで
すぐに、わすれてしまう、のだ。
だからこそ、ここまで積み重ねることなく生きてきてしまっているわけなのだが
それが今の無能さ加減につながっているのだ、なんてもうわかっているのだけど
でも
それでも、毎回そんな言葉を聞くたびに思うことがあるわけで
「やりたいこと」といわれて浮かぶことがあるわけで。
なんど、つぶれてもおきあがってくるそいつ、がいるわけで。
生きるのに必要なのならば、その機能は、壊れていない限り、戻ってくるはずだ
何年も寝たきりだって、少しづつでも、運動機能は取り戻せるのだから
腹の肉がブヨブヨ増えていくのと反比例するかの様に痩せ細っていった私の言葉が
生き返ってこないなんて、誰にも断言できることではないのだ
…わざわざそんなふうに思わなくても、こうやって勝手に持ち上がってきやがるし
最もウザったい、最愛の、パートナーだって、そろそろ認めてやらなくもないのだ
ああ、もう、強力な呪いのようなのだけれども
まずは、地味にでも、ジワジワでも、書くこと。
それしかないし、それしかないのだ。
呪いを解くにも、その中に身を投じるにしても、それしかないのだ
こんなに、灼けてしまいそうなほどに
誰かを愛したいと思い
それと同時に、もう誰も愛せないやとおもっている
この、思春期みたいな、バカみたいな熱が
なぜだか宿ってしまった、のだから。
頭の上にふわふわうかんでいるイメージを
なんとかどうにかして、紙の上に、キーボードの上に、叩きつけて押し花にする
そんな作業を
いままで、アホほど、繰り返して、きている。
足りないけれど、まだまだ足りないけれど
ゼロじゃない
ゼロじゃ、ないんだ。
サポートいただけたらムスメズに美味しいもの食べさせるか、わたしがドトります。 小躍りしながら。