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経験よ武器になれ

自分の「すき」という気持ちを知るための、試みというフレーズを前回の記事に書いたのですけれども

みなさま「好き」ってどんな気持ちかって、はっきりわかっていますか?
「これが好き」って、どんな気持ちですか?

私、それがいまいちわからないんですよ、ずっと。
多分、まだ不完全です。

「このジャンルが好き」とかがあればもっと楽だったのかもしれないけれど
それもいつもてんでバラバラ、共通の気持ちじゃないような気がしてしまって


何が好きで何が嫌いなのかって、人生のある一時期からぜんぜんわからなくなっちゃったんですよね。


そこからおよそ15年(長い)


紆余紆余曲曲折折折くらいを経ましたが
好きとか嫌いとかがやっとちゃんとわかるようになって来ました。


たとえば

元々音楽好きでやったりもして来たのですけれども
当時は「できそうなもの」で動いていたところが大きかったと今になって思います
好きなアーティストも、愛してやまないバンドも歌手もいたのですけれども
ちゃんと自分からでた「好き」だったのか怪しいところもあります。

ちゃんと「好き」な訳じゃないものばかり演って来てしまったように思えています
……まぁ、声質のせいもあって好きな音楽が歌えなかったのもあるのですけど。
「この声でできること」を探すよりも
「好きなものをこの声で表現する方法」を探すべきだったんですよ、多分


しかし、そんな中でも一生愛していくだろう音楽にもちゃんと出会えてきました


結局音楽で何かをなすことはできなかったけれども。
それでも、ちゃんと自分の糧にはなったのだという確信はあります。
音楽、好きなままだし。


今イチオシなのはフィロのスですが

いやまじで最高すぎんだろ彼女ら。
反則レベルでヤバい。
刺さりすぎてやべーです。


そもそも論とかした方がいいときもある

そもそもが音楽を始めたのは「言葉をもっと届けられる形にするためには」という目的のためだったはずなんですけど、「目的のためには手段を選ばず手段のために目的を忘れる」これも私の特性によるものでゴニョゴニョ致しましてですね……


取った手段があんまりにも魅力的だった上にその手段の中でも間違った道の選び方をしてしまった挙句に、立ち止まったとき「あれ?」ってなっちゃった訳です。

「人に合わせて生きてきた」ですらなく
自分というものを全く顧みずに生きてきたのだから仕方ありません。
→こういう人に限って脳内は自分のことだけだったりしますけど(わかってます!

そもそも何が好きだっけ?
服だったら小汚いミリタリーやヘビーデューティーも好きだし
おんなじくらいノーブルもロリータも好き。

乱暴な言葉遣いも好きだけど、見惚れるほどの上品も好き。
パンクなストリートアートも古典芸術も大好き


そんなふうに一見対立する概念にあるような極端なものへの「好き」が乱立していたことも、混乱の大きな要因です。

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ユニコーン? まほう? 魔女? 猫? お姫様?
今だったらだいすきです!と胸を張って言えるのに

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当時はそんなものこんな歳で好きなんて言ってちゃいけないよね
人に言ったら嘲笑されてしまうもの
 ……そんな感覚を優先して手に入れることすらしていませんでした

自分の感覚や感情を、そのまま受け止めることがほとんどできていなかったんです
「自分の想像の中にしかいない誰かのウケだけを狙い続ける」かのように


あー〜〜ー

めっちゃ時間を無駄にしたなああああああ!!!
これだけ時間があれば何かに絞ってこれが好き! ってしてたら色々できたのに!
くそぅ……と、思うのに、わかってるのにやっぱり絞りきれないこのワタシ


なので、今ならまだ間に合うかも!と思って、ある日から
「自分の感覚を大事にする」ことを積極的に考え始めました

……それから15年。
長すぎじゃろ……と、自分でも思います。


未発達な感覚をゼロからそだてるのってなかなか大変なことなのは確かだけど
そんなふうに自分自身がぐらぐらしてたから
そりゃ見事にダメ男に養分にされまくって来たりした訳で

いつかはやらんきゃならんことだったろうなとは思うのです
今から15年だと死んじゃうかもしれないしね(そこまでではないか)
「何かの支配から外れる為に使った時間」だと考えたら妥当なのかもしれませんが
だとしても、少しでも早い方が良かったであろうことはやっぱり確実で


「好きなもの」がわかると
それがどんなにとっ散らかっていようと
自分の中の舵取りが楽になるような気がしています。

鶏が先or卵が先? みたいになってしまっていますが

ヒトはきっとそもそもの成り立ちからして本来は
好き」「嫌い」「好ましい」「いや」を道標に人生を進むべきなのでしょう
その、一生を捧げるべき伴侶選びも好き嫌いで行う生き物なのですから

それをうまくできていなかった自分が燻ったり打ちのめされたりして生きるしかなかったのもそう考えるとそうなるべくしてなったような気がして来てしまいます。

自分の「好き」「嫌い」を蔑ろにした分だけ、自身の価値を自分で蔑ろにする結果しか呼べなかったのだとよくわかります。


10年くらいジタバタして、音楽を好きになったりロリ着たり色々して
結婚したり子供産んだりした後
本がまた読めるようになって来たときに
今ならいいかもとAmazonでユニコーンのチャームを買いました。

ずっと変わらず好きだったものの、象徴として。
ムスメズが好きだからとかいう言い訳をしながらではあったけれど


それから先、劇的に気持ちに変化が訪れた気がします
ひとつだけでも、自分を世界に示すものを身につけている、その力を
私、この歳になって初めて知ったんですよね。
こんなにすごいことだったんかと。
みんな知ってたの? スッゲーですね。


まあ、そもそもユニコーンはキリスト教の威光に容易には服さない野生の力の象徴でもあったらしいので、なるほどと皮肉だなぁとが行ったり来たりしますけど。

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つまり、何が言いたいかと言えば

経験よ、価値と自信になれ!

「言い訳してる時間はもうない」んじゃなくて
最初からそんなもんある訳ないのです。


下手とか上手いとか
足りないとか劣っているとかじゃなくて
「自分が好き」それだけでよくて
それを積み上げていくだけで、きっといいのです。



マリオでコインを取って歩くように
できるだけ多くのコインを取ろうとするように

きっと、それだけで、いいんです


それができなかった自分のことも
そこを恢復させるためにして来たことも
シンプルにすげーな、好きだなと思えたら

きっと私、すげーと思えるんですよね。


最新の自分!誇れ!

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半崎いお
サポートいただけたらムスメズに美味しいもの食べさせるか、わたしがドトります。 小躍りしながら。