こんばんは!林です。
本日は、自己紹介(ダイジェスト版)をします。
▼幼少期
3歳から茨城に引越し、
市場の有名な歴史ある町で育ちました。
ラッキーなことに、和太鼓、鼓笛、習字、舞踊など、沢山体験をさせてくれる保育園で、『色々な事に挑戦するのって楽しい!』と感じてたなぁと思います。特に一輪車にハマって、日が暮れるまで毎日練習を母に付き添ってもらい練習してました。
1つの物事にハマると、それ目掛けて一直線なのは、今も変わらず。
虫取り、カードゲームなど、インドアからアウトドアまで好奇心旺盛な子供だった記憶があります。笑
▼学生時代(中学生〜大学生)
同時に、目立ちたがりで正義感が強く、小学生の時から、学級委員長、中学は生徒会も立候補やら先生からの推薦やらで、やっておりました。
中学生の時、約2週間オーストラリア🇦🇺へ短期留学に行きました。
中学で常に5番以内の英語力が、本場で通用しない衝撃を受け、ホームステイした家族の優しさ、大自然の雄大、食文化の違い、日本の良さ、、
『世界って広い!』色んな衝撃があった出来事でした!そこから、徐々に自分の世界を広げていきます。
高校は地元を少し離れた進学校へ。
世界史を大好きになったきっかけであり、進路指導の鈴木先生に、『ツアーコンダクターになりたいから、専門に行こうか』と相談をしたところ、
『資格取ってなれる仕事は、いつでもなれる。あなたは大学へ行きなさい』と言ってくれた一言で、大学への進学を決めました。
大学時代は、YMCAでのボランティア活動、ゼミ、遊び、かけもちでバイトもしていて、寝る時間を削りながら、充実した大学生活でした。
▼社会人
大手メガバンクへ総合職として入行。
同期も良い人ばかり、先輩や上司にも恵まれ、社会人としての礼儀、マナーなどの基礎体力や、営業としての当たり前行動、目標達成の大事さ、など様々なことを学びました。中でも、社長と仕事ができたことが、本当に良い経験になってます。
ただ一方で、月〜金まで働き、たまに同期や上司と飲み、土日は彼氏と遊び、旅行やお出かけ、たまに勉強。
このパターンの日々が、大学生の時に思い描いてた社会人なのか?あと何年、この生活を続けるんだろう?とゆう将来への漠然とした悩みのタネが出てきていました。単調な日々に少し飽きていきました。
『10年、20年先の先輩を見ると、自分の将来がわかる』
ふと、自分の人生と重ねて合わせてみた時に、
色々なことを感じました。
年齢を重ねるごとに、
挑戦より仕事に就く安定を
自分の信念よりも上司の意見を
一回しかない人生の自己実現より今月の給料を
自分の人生にワクワクしてるのかな?って、ふと思いました。
もちろん中にはいたと思いますし、仕事はできる先輩ばかりでしたが、心を豊かに、豊かな生活をしてるかというと、私がみた世界の中では、ほとんどの方がNoでした。
なので、真剣に悩んで、転職を決意。
大手人材会社へ転職しました。
刺激的な同期、理想をかかげ仕事ができる事への面白み、前職より更にパワーアップした職場で、またハードワークをしてました。
ふと、半年経って、自分のライフスタイルを振り返ると、当時感じていた月〜金まで仕事漬けの日々、土日は平日の疲れを癒すように飲みやマッサージ、たまに発散する旅行。
『本当に変えたかったものって、なんなんだっけ?』
そう自分の今にモヤモヤしている時に、
好きだった叔母が60歳と早くに亡くなり、
料理人の父親が病気になり、
当時結婚を考えていた彼からのプロポーズ
一度に人生が動き出しました!
その時、卒業生の先輩が、相談にのってくれ、そしてあることを聞いてくれました。
『仕事を頑張った先、どうゆう幸せのために頑張ってるの?』
『本当は親のこと、家族のこと、仕事のこと、自分のこと、どうしたいの?』
先輩との10数分。
衝撃であり、でも当時の自分にとっては希望の光でした。
それから真剣に2週間
自分と向き合い出した答えは、
私は自分の人生、可能性にチャレンジしたい
このままで終わりたくない
大事な人を大事にできる人生にしたい
会社や親、彼に依存せず、自立した女性でありたい
そう決めて、努力してきました。
結果、3年で会社員を辞め、
現在はフリーランスになり、
今年法人化していきます。
あの時、
自分の最大限を望んで良かった!
本心に向き合って、一歩勇気ある選択をして良かった!
自分の最高な人生は、自分で創り出せること、
自分を変化させる努力によって、人生は大きく変わること、
信頼できる仲間や人間関係がある幸せ
まだまだ道半ばですが、
沢山学び、私が変化してきたこと、感じてきたことをまた別の機会に詳しく綴ります。
今日もありがとうございました。