終戦日 鈴木銀一郎先生の思い出
夏になると思い出す。
この時期だからJGCのライブRPGのテストプレイの後だった。
当たり前のように銀一郎さんと飲んで、ふと一息ついた時だった。
「終戦日じゃない。今日は敗戦日だよ」
銀一郎さんが不意に杯を置いて、そう言った。
銀一郎さんの自伝的な著書「ゲーム的人生論」の冒頭は疎開先の思い出からはじまる。
「河村くん。正義や真実はあると思うかい?」
「……あると思います」
銀一郎さんは、俺を見つめると少しだけ笑った。
「正義や真実もない!! 私は戦争のときに、それを思い知った。昨日、正しかったものが、今日は間違っていることになった」
銀一郎さんはをあおると笑っていた。
俺の青臭さを笑ったのではない。自嘲的で寂しそうな笑いだった。
それから、教科書を墨で黒く塗りつぶしたことを話してくれた。
テレビや本で知っていたことだったが、実際に経験したことを聞くのは、はじめてだった。
俺は黙って聞くことしか出来なかった。
銀一郎さんの中の正義と真実が黒く塗り潰れた日だったのだろう。
人の世は正しいことをしている人が必ず報われることはない。
俺は、その日から「正しいこと」や「真実」について、よく考えるようになった。
無闇に人を断罪しないように気を付けるようになった。
いまだに感情に流されることは多いが、銀一郎さんなおかげで少しはまともな人間になれたのではないかと思う。
正義よりも「より善い」を行えるようになれると良いかな。
真実の意味についても考えた。
必ず信じられるものは無いかもしれないが、一つの答えは出せた。
俺の中の真実は「戦友」である。
一緒に修羅場をくぐってきた人たちとの絆は、俺の中で真実だ。
袂をわかってしまった人もいるか、大事な思い出になる。
もちろん、本当の戦争の戦友ではない。
戦友という言葉が戦争を想起させない言葉になる日を切に願う。
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