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31 - 小谷野栄一選手の引退に思うこと。

 私はプロ野球が好きだ。推し球団は北海道日本ハムファイターズ。でも、ファンといっても球場で応援した経験はとても少ない。札幌ドームに足を運んだのも今年が初めて。東京の住宅街の片隅から、HBCラジオの試合中継を聴いて過ごす毎日――つまり、いわゆる「茶の間」なので、ファンだと名乗るのも、野球について語るのも、もしかしたらおこがましいことなのかもしれない。

 それでも、今日だけはどうしても書き残しておきたい、書かずにはいられないことがある。そのためにnoteに登録したのだ。だからどうか、これからこの記事を読もうとしている人には、私がそこまでガチ勢でないことを念頭に置いて、優しい心でスクロールしていただきたい。 


 昔、高校の修学旅行で姫路城に上ったとき、本丸の中に賽銭箱があった。何のご利益があるのかもよく分からないけれど、折角こんな所まで来たのだからスルーしてしまうのも勿体無いと思って、御参りしていくことにした。中学や高校の頃は神社に行くと大抵、成績についてお願いしていたけれど、そのときはどうしてか別のことをお願いしようと思った。少しの間考えてから、賽銭箱に31円入れて手を合わせた。

 当時、私は高校2年生。2009年のこと。特に贔屓して応援していた日本ハムファイターズの小谷野栄一選手(現オリックス・バファローズ)と、中日ドラゴンズの森野将彦選手の背番号が、【31】だった。詳しい試合内容は覚えていないけれど、お賽銭をした日のナイターゲームで2人とも良いプレーを見せてくれたと記憶している。試合のことは広島のホテルで確認したんだっけ。

 地元に帰ってきてから、学校新聞の速報版でコラム記事を担当することになり、このことについて書いた。コラムの内容に関して、反省会で良かったとも悪かったともコメントをもらわなかったので、少なくとも悪くはなかったようだと前向きに捉えている。翌2010年から小谷野選手の背番号は「5」に、森野選手は「30」になった。私があと数ヶ月遅く生まれて、学年が1つ違っていたら、おそらくあのコラムは生まれていなかったことになる。

 この記事を書いている今日、2018年10月5日は、京セラドーム大阪で小谷野選手の引退試合が行われた日だ。対戦相手は福岡ソフトバンクホークス。小谷野選手は、引退選手特例で今日一軍に登録された。

 小谷野選手はかつてファイターズで活躍し、2015年からはバファローズに移籍して野球を続けてきた。移籍すると聞いたときは正直、淋しい気持ちがあった。選手個人のことも好きだけど、やっぱり私はファイターズのファンだから。好きな選手には好きな球団にいてほしいという気持ちがあった。

 それでも、私が球場で見る機会を得られないまま引退してしまった稲葉さんや金子さん、他、大勢の元ファイターズ選手のことを考えると、小谷野選手に関する後悔はずっと少ない。今年になってようやく私生活に余裕ができ、札幌ドームに足を運ぶことが叶ったのだが、そのうちの1試合で、敵チームではあるけれど、打席に立つ小谷野選手の姿を見ることができたからだ。

 7月28日、札幌ドームでのオリックスvs日本ハム戦。小谷野選手が指名打者として打席に立つと、ややまばらではあるが、スタンドのファイターズファンから拍手が起こった。他チームに移籍した選手に拍手を贈るのはよくある光景かな、と思う。

 ちょうどその少し前、岡大海選手(彼も私の推しのひとりで、【31】だったことがある)が日本ハムからロッテにトレードで移籍した。8月1日の試合では、マリーンズのユニフォームに見を包んだ岡選手がヒットを打つと、帯広の森に詰めかけたファイターズファンから拍手が贈られていた。私なんか、その日はあえて岡選手のレプリカユニフォームを着て応援しにいったくらいだ。(後にえのきどいちろうさんが文春野球コラムに岡選手のユニフォームを着続ける"岡ーズ"を結成したと書いているのを読んで激しくいいねした。)

 でも、移籍したばかりの岡選手と違って、小谷野選手は移籍してもう4年にもなる。なのに、みんなまだこうやって彼のことを応援してるんだなぁと思うと、目頭が熱くなる。ラジオ中継を聴いているだけでは、実況者が言及しない限り拍手をしているのが誰なのかまでは分からないし、ラジオは球場内のいろんな音を拾っているので、こうやって球場で目の当たりにしなければ特に意識することなくスルーしていただろう。というか、小谷野選手への拍手があの日だけとは考えにくいから、私が今までずっと気づいていなかっただけなのだ。前日にスケジュールとにらめっこをして、行くか行くまいかさんざん迷って、結局行くことに決めたあの日の私。本当に良い決断をした。

 ところで、オリックスに移籍してからの小谷野選手の背番号はまた【31】に戻っていた。「5」もまた個人的に思い入れのある数字ではあるけれど、あのお賽銭の思い出があるから、野球選手の【31】は私にとってちょっと特別だ。だから今日、現役最後の打席も小谷野選手がこの数字を身に着けて立ったことが私にはとても嬉しく思えた。

 9回裏2死の場面で代打・小谷野栄一がコールされる。radikoをつけたスマートフォンの向こうで、歓声が一際大きくなる。私はイヤホンをしっかりつけ直して、試合の様子に耳をすませた。応援団の声に合わせて、ラジオのこちら側で私も応援歌を口ずさむ。小谷野選手のオリックスでの応援歌に続き、ファイターズ時代の応援歌が流れてきた。ボロボロ涙が出てくる。

 10代の頃、試合を観に球場へ行くことが一度も叶わず、家にインターネット環境もなかった私は、応援歌の歌詞を知らないまま、ラジオから聞こえてくる音を頼りにメロディだけを口ずさんでいた。最後に「小谷野栄一」と言っているのだけはなんとか聞き取ることができたので、そこだけはちゃんと歌った。今でも、ファイターズの応援歌と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、そうやって覚えた栄ちゃんの応援歌なのだ。泣かないわけがない。

 後で知ったことだが、対戦相手のホークスファンの中にも小谷野選手の(オリックス・日ハム両方の)応援歌を歌ってくれていた人がいるようだ。レフトスタンドのホークスファンも小谷野選手のボードを掲げてくれた、という話はたくさん見かけたが、ソフトバンクの黒いビジターユニフォームを着た人たちが「遥か天高く〜」と歌っている動画を見た時はもうわけ分からんくらいに泣いた。私も野球ファンとしてこういう人間になりたいと思った。

 そうして大勢の野球ファンが見守る中、小谷野選手はファウルと空振りの後、3球目にショートゴロを打ってアウトになり、試合が終わった。

 残念ながら様々な事情で叶わなかったけれど、できることなら私も京セラドームに駆けつけて、みんなと一緒に小谷野選手の惜別ボードを掲げながら、彼の引退を見届けたかった。そういう気持ちは間違いなくある。でも今は、試合前に予想していたよりもずっと穏やかな気持ちでいる。

 岡選手のように突然移籍してしまう選手もいるし、30を過ぎたらいつ引退してもおかしくない。最近一軍で見ないなぁと思っていたら戦力外通告ということもあるし、外国人選手だったら家庭の事情なんかで国に帰ってしまうこともある。ちょっとくらい無理してでも行ける時に行っておかないと、応援している選手はすぐにいなくなってしまう。そのせいで、今までたくさん後悔してきた。遠征費ぐらい頑張れば捻り出せたんじゃないかとか。ビジターでももうちょっと足を運ぶべきだったとか。それはもう、山程。

 ――けれど。

 できなかったことを嘆くより、できたことを褒めるのだと、いつか小谷野選手が言っていた。それは小谷野選手がパニック障害と付き合いながら野球を楽しむための心がけだったけれど、彼の引退を惜しむ私のようなファンにとっても、ひとつの救いになる言葉だと思う。今年は札幌ドームで観戦できた。小谷野選手の勇姿もこの目で見ることができた。今日はラジオだけど、ちゃんと小谷野選手のことをリアルタイムで応援できた。去年までよりずっと前進した。ほんの少しだけど、行動できて良かった。良かったなぁ。



画像: 2018年7月28日 北海道日本ハムファイターズvsオリックスバファローズ@札幌ドーム。小谷野栄一選手の第一打席。

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