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「場違い」と感じること
いわゆる「ヘアーサロン」で散髪してもらっています。
ヘアーサロンと呼ばれる地元の散髪屋の中でも、かなりおしゃれな店構えの方で、客も店員も自己肯定感でキラキラしている感じの。
「ヘアーサロンと呼ばれる散髪屋」と言ってしまっている時点で、僕がヘアーサロンで髪を切るようなタイプでないことは容易に想像できると思います。
40代後半。髪の量も少なくなり、毛先で遊ぶ必要も能力もなくなったおじさんです。正直、10分1,000円均一の床屋ですませても、外見はほぼ変わらないでしょう。
でも、このヘアーサロンで散髪する30~40分が、正直心地よいんですよね。
20代のスタイリストさんとひとしきりジャニーズの話をする(一方的に聴く)こと、自分の仕事の話をおっさん臭くならないように加工して手短に伝えること、調髪程度だけどやっぱりちょっとだけおしゃれになったような気がすること。
自分では、10分カットの4倍もお金を払う価値は感じている。
だけれど、心のどこかで「場違い」感にびくびくしている。
このヘアーサロンは、妻がネットで見つけて予約してくれました。そうでなかったら、店の脇を歩いても、脳が「場違い」と無意識に無視して見えてもいなかったに違いありません。
生きていると、「場違い」と感じることはよくあります。
そんなとき、例えば「ここは自分のホームゲームじゃない」と思ったり、「自分が選んだんじゃない」と言い訳したり、時には「後学のために」と理由をわざわざくっつけてみたり。
でも、最近は違和感を感じることがあって良いんだ、と思うようになりました。
逆に、「場違いでない」で埋め尽くされた日々は、安心で平穏で満足なものだろうか、と考えてみると、見えてくるものがあります。
例えその「場違い」が、成り行きでも、偶然でも、意に反してそうなったものであっても、妻の勧めでも、ひっくるめて、紛れもない自分の1日1日であり、その合計で自分の人生になっているんだな、と思います。
他人の人生を傍から見ていて、「場違い」と感じることって、特にないですよね。むしろ、「チャレンジしてる」「良い機会に恵まれている」「この人こういうの好きな人なんだな」「ちょっと意外」、そんな程度でしょう。
「場違い」と感じたら、適度な揺らぎがある良い人生を生きていると考える。それくらいで丁度いいな、と思った海の日でした。