第14回 LDHによる「MOON CHILD」商標登録は他人の「人格的利益」の侵害
特許庁が示した拒絶理由は主に2つ
LDHによる「MOON CHILD」商標登録出願に対する特許庁の2度目の拒絶理由については、第13回 LDHの「MOON CHILD」商標出願に2度目の拒絶理由通知書が発出される!で触れたとおり、主に次の2点です。①バンド「MOON CHILD」と誤認を生じさせる商標であること、②MOON CHILDは4人組の著名な音楽グループの名称を表すものであり、他人の名称であることです(ここでは商標法3条1項3号の事由については割愛します)。
このうち、①「誤認を生じさせる」(商標法4条1項16号)という不登録の理由については、インターネット上で「ムーンチャイルドってバンドじゃないの?」という困惑の声が多数上がっていたり、「バンドと間違えてガールズグループのライブチケットを購入してしまった」という声が見聞きされたりすることから容易に理解していただけるのではないかと思います。
2つ目の拒絶理由の趣旨は「人格的利益」を侵害するから
さて、今回は、特許庁が挙げたもう1つの②他人の名称であることという不登録の理由を詳しく見ていきます。
商標法4条1項8号は商標登録を受けることができない商標について次のように定めています。
条文中の「名称」には、法人名や団体名、グループ名などが入ります。
この条文の趣旨は、出願された商標と同じ氏名、名称を持つ他人の人格的利益を守ることにあると解されています。人格的利益とは、人の生命、身体、自由、名誉、信用など個人の人格的生存に不可欠な利益をいい、財産的利益と同様に他人からの侵害から守られなければならないものです。
なぜそのような商標を使用することによって人格的利益が損なわれるのかというと、無断で自分の名前が他人の商標に使用されることによって、人は嫌悪や不快等の精神的苦痛を感じるからです。人は無断でその氏名、名称等を商標に使われることがない利益を保障されているのです。
そして、勝手に氏名、名称等を商標に使われたことによって精神的な損害を受けた場合や、自己の評判が下がるなどの事態が起こって損害が発生した場合には、民法上の不法行為に基づく損害賠償請求をすることができます。
商標法改正の検討状況と「著名性」の要件
ところで、商標法4条1項8号の文言によれば、出願する商標が「他人の氏名、名称」と同一であれば、それがたとえ無名の一般人の氏名、名称であっても、当該他人の承諾がない限り登録することができません。この規定は特に近年、裁判所で厳格に適用されているといわれています。また、特許庁の審査においては、検索サイトや新聞記事で同姓同名の人が存在しないかどうかを調査し、存在することが分かれば商標登録を認めないとされています。
しかし、これに対しては、個人の氏名がブランド名として使われることが多いファッション業界を中心に、出願人の商標登録を受ける利益より他人の人格的利益を過度に優先し過ぎであり、バランスを欠くとの批判の声が多いようです。
そのため現在、「他人の氏名」に一定の知名度の要件を設けるべきではないかとの議論がされており、その方向で法律の見直しが進んでいるようです。
なぜ知名度の要件を設けるのかというと、商標に含まれる他人の氏名が一定の知名度を有する場合には、人格的利益を侵害する可能性が高いと考えられるからです。要するに他人の氏名の知名度が高ければ、特定の商品・役務と氏名、名称とを結びつけられることにより顧客誘引力が低下し、経済的利益が減少するなどの不利益が生じやすいからです。
しかし、この見直しは他人の「氏名」にかかるものだけであって、「名称」の見直しは予定されていないようです。その理由は、氏名と異なり、名称には選択の幅があり、その「名称」をぜひとも商標登録しなければならない必然性がないからです。例えば、ファッションデザイナーの島田順子さんが自分の氏名である「ジュンコシマダ」という商標を登録する必要性は非常に高いといえますが、LDHがわざわざ「MOON CHILD」という商標を登録する必要性は低いと思われます。ほかにいくらでも名称を選択することができるからです。
本件の拒絶理由通知書に使われている「著名な」の文言
さて、ここで本件の特許庁の拒絶理由通知書をもう一度読み直してみたいと思います。
本件の令和5年8月2日付け拒絶理由通知書において、バンド「MOON CHILD」は「著名な音楽グループ」であると書かれています。しかし今回適用された商標法4条1項8号の要件は「他人の名称と同一」であることにとどまり、著名性は求められていません。にもかかわらず、特許庁審査官がここでわざわざ「著名な」という言葉を入れたことには、特別な意味が込められていると私は考えます。
つまり、本件において、LDHの「MOON CHILD」の商標登録を認めることによって、考慮されるべき人格的利益の侵害の程度が大きいことをこの言葉で表現しているのではないかと思うのです。
深読みしすぎと言われるかもしれませんが、法律文書というのは余計な言葉を使うものではなく、必ず何らかの意味があって挿入されています。あえて使用されている言葉がある場合に、そこから特別な意図を読み解くことは解釈にあたって非常に重要なことであったりします。
最後に、今回、正当な判断をしていただいた特許庁のご担当者様に感謝いたします。