56話 ハチ公の前で②
デートっぽいカップル、サンドイッチを口へと押し込む男性、丸めた新聞を引き伸ばす会社員、奇抜なファッションをお互いに撮り合う女の子達、ティッシュを配る人、腕時計を見つめて足早に通り過ぎる会社員、嫌がる子供の手を引く親子連れ、望遠レンズでビル街の写真を撮る人、小さい机でアクセサリーを売る人、2人組みの女の子に話し掛ける男性、急に奇声を上げ手を振る女の子、珍しい和装の男性、布団ほどの大荷物のおばあさん、トランシーバーで話す警官、小冊子を勧める女性。
本当にさまざまな人が、渋谷駅前のスクランブル交差点を行き交っていた。いつもの見慣れた通学路が「これから自分が演奏をする舞台なんだ」という視点で眺めると、全てが事細かに情報として頭に入り込んで来る。
月が上がる頃、スクランブル交差点には、大型のアンプから準備運動のような音出しの爆音が響いていた。待ち合わせの名所でもあるハチ公前には数台のアンプが並び、その横では発電機が地響きと唸りを上げる。すでにヒッピーのような姿の女の子達が前の席を陣取り、20人ほどが、今か今かとセッション演奏の本格的な始まりを待っていた。
程なくして気だるいブルース演奏が始まる。演奏はエレキギター2人とエレキベース、簡易的なミニセットのドラムの4人編成というシンプルなバンドだったけれど、かなり分厚いバンドサウンドを作り出していた。それは自分が普段聴いていたようなブルースではなく、ハードロック系の歪んだエレキギターを中心とする、ヘビーなロックブルースだった。
一口に「セッション」と言ってもそのバンドアンサンブルの完成度は高く、とても即興とは思えないレベルに、僕はすっかり臆してしまう。
(こんな凄い集団に、自分なんかじゃ、入れないじゃないの?さっきのは、やっぱり社交辞令だったのかな?)
ちゅうちょしつつも、なんとか恐る恐る近付いてみる。その演奏の中心には、確かにさっきのギターの彼がいた。
エレキギターを弾いている彼には、さっきまでの穏やかさは無く、何か近づき難いような鬼気迫る空気が漂い、それが演奏する集団全員を渋谷駅を行き交う大量の通行人達から守っているようにも見える。文字通り「オーラをまとっている」という感じだ。
僕は(もしも~し、さっきの者ですが。呼ばれて来ましたぁ~。お~い、見えますか、気付いてよ~)とウロウロするものの、彼のファンらしき集団に阻まれて、なかなか上手くアピールする事ができない。
仕方なく、覚悟を決めて、曲の途切れ目に、本人の前まで近づいて行く。よく見ると、演奏者も取り巻きもイレズミだらけの人ばかりだった。まだ今みたいに「ファッション・タトゥー」などあまり見かけない時代だったので、(ひょっとして、やばい連中なのかも!?)と驚き「あ、人違いでした、さようなら」と逃げ去ろうとしたところで、ギターの彼がようやく僕に気がつく。
「ああ、さっきの、ハープの。入んなよ。マイクそれ使って。確か、AのKeyなら入れるんだよな?」
彼が僕を招くと、周りの取り巻き達がさっと動き、すぐに演奏の為のスペースが用意され、僕にマイクが手渡される。その間わずか1分足らず。実に統制の取れた集団だった。
(なんだこいつ、新入りか?)という警戒感と、彼に招かれた「セッション仲間」への羨望のまなざしが僕ひとりに注がれる中、すぐにイントロが始まり、重厚なブルースが動き出す。
おっかなビックリながらも僕のテンホールズハーモニカのエレクトリックな「ポワ~ン」が加わると、演奏はより濃厚な盛り上がりを見せ、拍手や歓声が飛び交い始める。
エレクトリックハーモニカのサウンドは、マイクから空気を漏らさない事で、音同士がこもりながら増幅され、小さな呼吸の二ュアンスを即座にアンプからの音に反映させて行く。初めて、自分のイメージ通りに、見事「ポール・バターフィールド」ばりのうなりを上げ、僕のテンホールズハーモニカは、夜の都会の雑踏に響き渡った。
僕はテレビでヒューイ・ルイスを見て、テンホールズハーモニカを吹きたいと思った。
最初はハーモニカの種類も間違え、子供の頃に学校でならった普通のハーモニカを吹いていた。何も吹けないのに、アンプの存在を知らずマイクだけでも大音量が出せると勘違いして、通販で買ってしまうほどの無知だった。
長渕 剛や佐野元春などの吹くハーモニカをマネて、初めてベンドの音色を知り、高校受験の時期だというのも忘れ、その特訓に明け暮れた。読めもしない専門書を買ってみたり、ブルースとカントリーを間違えてレコードを聴いていた時期だってあった。
やがて、クロスロードという映画の影響からサニー・テリーのようなブルースのハーモニカサウンドに出会い、そしてようやくポール・バターフィールドのエレクトリックハーモニカにたどり着き、一巡してヒューイ・ルイスのサウンドの仕組みを理解できた。
いろんな事をやって、さまざまな失敗を繰り返して来た。その中で、目指していたのは常にこの音「エレクトリックハーモニカ」の分厚いサウンドだった。
なぜそれを、当時漫画家になる事だけを夢見ていた自分が目指し始めたのかは、今ではよくわからないのだけれど。
曲はスローやブギ、様々に変化していつまでも続いた。けれども持っているハーモニカはDのKey1本だけ。
僕のせいであまりAばかりだと悪いので「Emでも吹けますよ」と申し出てみる。それはサードポジション奏法(Eドリアンのモード奏法)といい、ロックっぽい危険なムードのフレーズを吹く事ができる奏法だった。これで出す独特の大人っぽい渋めのサウンドにはかなり驚かれ、すぐに僕は「新参者」から「専門家」へと尊敬の眼差しを向けられて行く。
周りで数人の強面の男の人達がペコリと頭を下げ、急に笑顔を見せるのは(今さっきまでの無礼をお詫びします)といった感じなのだろうか。
長い間夢見ていた世界が、いきなり目の前に現れた日だった。
こんな小さな、手の中にすっぽり収まってしまうハーモニカの音ひとつで、すべての状況が一変したのだ。僕はまるで、映画「クロスロード」のハーモニカ奏者ウィリー・ブラウンのような気分だった。
つづく
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