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96話 ホストバンドを体験する①

ジャガから紹介された店の前に到着した時には、夜の暗さが足りず、まだネオン管が灯っていなかったので、その店は何の店なのかもよく分からないような、どこにでもある2階建ての目立たない古い建物に見えた。
それでもまだ開店前だと言うのに、入り口の前にはギターを抱えた参加者らしき数人が列をなしていた。なかなか人気のある店なのかもしれない。

僕が、参加者らしい人達を目にしつつも、この店で本当に間違いないのだろうかと考えている内、少し離れたところから馴染みのある声がした。
「あっ、広瀬さん!!いたいた、こっちこっち!!まだ開店前だからさ!!」
ホストメンバーに誘ってくれたジャガが、いつものように大きく手をふり、僕を呼ぶ。
僕は呼ばれるまま、ジャガのいる店の裏口の方へとまわり、そのまま一緒に暗い店内へと入った。
その時、店の入口に並んでいた数名が、ちらりとこちらを目で追う様子が見えた。
特に敷居なんて無さそうな、見るからボロい店ではあったけれど、やっぱりこういう時はホスト・メンバーとしての特別扱いで「VIP」になったような気がするものだ。少し照れつつも、そんな扱いをされておいて、店に入るギリギリで(本当にハーモニカの技術面の方は大丈夫なのか?)という不安が入り交じる複雑な気持ちにさせられる。
それに加えて、いつもと違って変な感じがするのは、まだ明るい内にはジャガに会った事がなかったせいだった。出会ってからかなり経つものの、お互い明るい場所でちゃんと顔を見たのは、これが初めてなのではないだろうか。

その建物は2階建てだったけれど、演奏するBarは階段を降りた地下の方にあった。
無駄にヨーロッパ風の装飾をされたドアは、ライブBarというよりはスナックそのものだった。
ジャガはドアを開けてくれ、僕を先へと誘導するのだけれど、店への通路が狭くて譲り合えず、結局は先に入り、内側から僕を招き入れてくれた。
カビくささが若干漂う店内に入ると、店の天井の小窓から外の光が入り込み、中の様子が隅々まで見渡せ、ある程度の店内の造りが分かった。
一見すると打ちっぱなしでまだ未完成な部屋のようには見えるものの、音の響き方の感じから防音空間ではあるらしい。
ちょうど開店準備で、一面に伸びる暗幕のような黒カーテンを引き、各種のライトを付けるところだった。
その瞬間から、そこはムードのある薄暗いBarへと変化する。
店内の海外ビールのネオン看板はかすかに「ジーッ」と音をたて、装飾品の中古感が伝わって来る。けれどそういった感じがブルースという音楽にふさわしい、独特の危険な雰囲気を漂わせてくれる。

僕が待ち合わせの最後だったようで、すでに店内にいた今回のセッションデーのホスト・バンドのメンバー達が、店のBarカウンターあたりへと集まって来る。その様子はバンドマンらしく面倒くさそうで、怠惰な感じが漂っている。一方ジャガの方はいつもの元気なノリで、一人だけテンションが高く、少しばかり浮いて見えた。
周りのメンバーは僕の方をちらりとは見るけれど、まだ挨拶をするでも無く、仲間内でのおふざけモードで曲などの話をしては笑い合っている。
初顔合わせの僕はビビりながらも、これから組む事になるメンバー達のダラダラした内輪ノリを、しばらくは眺めていた。

やがて頃合いを見計らったようにジャガが口を開く。
「はいはい、え~と、みなさん、ご紹介しますね。今日のホストメンバーのひとり、ハープの広瀬さんね。はい、よろしく~って事で」
僕はそのまま軽く会釈をする。ここでは会社員の時にするように「どうもどうも」と愛想良くはやらないよう気をつけていた。何事もムードが大事だ。今日のメンバーは僕の事をまだ知らないのだから、少々格好をつけたハーピスト・デビューだって許されるはずだ。

まずマスターらしき初老の男性が挨拶をして来る。
「ジャガ君からいろいろ聞いてますよ。私、ドラムでね、一応、この店のオーナーです。今日はみんな早くから入っていてね、ある程度、みんなで慣らしてたんですわ。ジャガ君は、広瀬さんなら、後入りでもバッチリ合わせれるって言うんでね」
いかにも遊び人風の男性だった。グレーに染まった髪とヒゲは小綺麗に整えられ、アロハのようなシャツがよく似合っていた。表情も爽やかで、サーフィン、バイク、アウトドア等、アクティブな事はなんでもこなしていそうなスマートさがあった。
僕は(カッコつけの人なんだろうな)と思った。そうでなければ、店を暗くする前に、自己紹介を済ませておくだろうから。

ドラマーのオーナーさんに続き、ギタリスト、ベーシストも挨拶を始める。
ギターの人は長髪でいかにもロック畑という感じがした。Tシャツにジーパンというラフな服装ながら、あちこちにちょっとした真ちゅうっぽいアクセサリーがチラチラと見えていた。
ベースの人は楽器のカラーのせいなのか落ち着いた感じで、見るからに「人格者」という真面目なムードが漂っていた。それでも普通の会社員というような感じはせず、その話し方からどこかしら自営業者のような、個性的なライフスタイルを送っていそうなこだわりを感じさせて来る。
3人共が同じようなスマートさで、アマチュアのバンドマンとは聞いていたけれど、なかなかにプロっぽさを醸し出していた。

僕は最後に自己紹介をする事になった。
「広瀬です。あの、まだまだ経験は全然ですけど、頑張りますので、よろしくお願いします」
すると軽い笑いとともに、マスターが手をダメダメと振って、笑いながら僕に言う。
「そんな、固くならないで、ただのセッションですから。それに、この店に来る人達は、そんなにレベルは高くないのでね」
全員がケラケラと笑い合う。メンバーはみなバンドマンとしての年季を感じさせ、僕のような会社員では無いせいか、自然に脱力している感じだった。おかげで初対面の僕も、ほど良く緊張を解く事ができた。
飲み物をマスターに聞かれ、結局僕はいつものようにウーロン茶を選ぶ。酔ってミスをするのを防ぐためだった。
その日はギャラは無いまでも、ドリンクは店のおごりという事だった。僕は参加料を払わないだけでもありがたかったのに、なんだか特別扱いが申し訳ないような気持ちになり、気遣いからなるべく金額の低い飲み物を頼んだ。
後入りした僕のエレクトリックハーモニカ用のアンプのセッティングが終わると、マスターはすぐにBGMを大きめに流し始め、いよいよ店がオープンする。
今さっき並んでいた数人が、次々に店に入って来る。
最初のひとりが入り口でカウンター越しに注文を済ませ、慣れた様子でカウンターに置かれたノートに自分の名前と楽器の種類を記入すると、次の来場者がそれに続いて行く。
時間と共に続々と参加者が増えて行く。肩に下げた荷物にはギターのネックが目立ち、この店もギタリストだらけのセッションデーとなるようだ。

ここで驚く事が解かった。なんと注文を受け、その場でドリンクを用意しているのは、ドラムを担当するマスター自身だったのだ。
ドリンクと言っても缶のまま渡すビールや、ビンとグラスで後は自分でやってくれというぶっきらぼうさ。オマケに「本日フード無し」とレジの脇のホワイトボードに大きく書いてある。なんでも初めてのセッションデーで、誰も来ない可能性もあるので、赤字を出さないために店員は呼ばなかったらしいのだ。
ところが予想外に大勢の参加者が詰めかけ、マスターは大忙しのようだった。
僕らはホストバンドのメンバーという事で、カウンターの横に陣取るために、店の内側の部分が若干見えてしまう。今の今までクールに振る舞っていたマスターの、カウンター内でのバタバタとした慌ただしい様子を見て、僕とジャガはそのギャップに笑い合ってしまった。

やがて、店が参加者でほぼ埋まろうかという頃、ステージ側のライトがつき、反対に客席側のライトが消え、BGMが徐々に小さくなって行く。
ホストメンバーがのろのろと定位置につくと、ジャガの軽快なマイク・パフォーマンスが幕を開ける。
「さぁ、いよいよですね!!今日がこの店での、初めてのブルースセッションデーとなります!!」
さすがのジャガも、記念すべき日の司会に少々緊張気味なようだった。
参加者達からはやや気のないような、まばらな歓声と小さめの拍手が飛び交う。これが、初めてのセッションデーを迎えた店、参加者、共に不慣れな段階と言う事なのだろう。
そしてジャガからホストメンバーが紹介されて行く。僕の名前は最後に呼び上げられ、また少しだけ特別扱いをされたようだった。
こういった自己紹介の場面は、たいがいはバンドの軽い演奏に乗せてスマートに行なわれるものだけれど、この店はセッションイベントにも慣れておらず、どこか開会式のような極めて真面目なスタートを切った。

お決まり通り、まずはホストバンドで1曲だけ演奏する事になった。
いつもなら最初の音出しは緊張するものなのに、僕はいつになくリラックスしていた。それは自分の参加曲数が定められている訳でもなく、参加者同士で威嚇し合う中にいなくて済んだせいなのだろう。
今回のホスト・バンドのリーダーはドラムを担当する店のマスターの為、後ろから声が掛かる。
「じゃぁ、広瀬君の方は、いいかな?」
僕は振り返り、にこやかに余裕で答える。
「はい、大丈夫です。よろしく」
こうして始まった演奏は、最初から安定したものだった。
まずボーカルを入れず、ギターを中心としたインストゥルメンタルでのブルース演奏。ホスト・バンドのギタリストのゆるいギター・ソロが数コーラス続き、頃合いをみて僕に目配せが来る。
僕は目で伝える。(えっ、もういいんですか?早いんですね)
相手も目で返す。(まぁ、こんなもんじゃない?次、頼むよ)
僕は軽くうなずく。(では、吹かせていただきます)
そんな感じで、手にとるように意思疎通ができた。
けれど、自分のテンホールズハーモニカのソロの前に、つい癖でいつものように軽く会釈をしてしまった。うっかりそうしてしまうところが、バンドマンらしからぬ会社員丸出しの姿になってしまっていた。

それでも僕のテンホールズハーモニカの音色が広がると、すぐに客席からの反応が出る。
「イェイ!!、ヒューヒュー、いいぜ、渋いぜ!!」「ハープ、ワンモアワンモア!!」
大した演奏はせずとも自然に歓声が響いた。ひょっとしたら、がっついていない演奏のため「ブルースらしさ」みたいなものが参加者達に格好良く見えたのかもしれない。
あるいは今日だけ、別の理由でウケている可能性もあった。
「みんなカッコ良い!!うん、みんな良い!!」「そう来たか、いやぁ、参ったな~」
そう、ホストメンバーへの、参加者側の自己アピールかもしれないのだ。

参加者もこの店の初めてのセッションデーという事で、それなりに作戦を立てて来る。解りやすく店側の人を褒めちぎる事で、自分がセッション演奏に参加する前の段階から、仲良くなろうとして来るのだ。自分の演奏回数を増やしてもらおうとか、なるべく良いセットにしてもらおうとか、下心が見え隠れする。
けれど、そんな誰もがする当たり前の努力の中で、少々厄介なのは「自分は他の参加者とは何かが違うぞ」と、言葉や振る舞いで匂わせて来るタイプだ。

1人の参加者の男性が素早く、何度か首を傾げながら、呼ばれてもいないのに突然ステージへと入って来る。
その人は一心に何かを見つめ、他の事など目に入らないかのようだ。「おかしいなぁ、リバーブかなぁ?それとも、」とつぶやきながら、演奏しているギターの人のアンプを、勝手にいじり始めてしまう。
僕は(何事か?)と思い周りを見ると、マスターもベースのホストメンバーも「やれやれ」といった呆れ顔をしている。
アンプをいじられたギターのホストメンバーも、なんともいえない表情でそれを見つめつつ、それでも演奏の方はそのまま続けている。
離れたところから見ていたジャガも、司会者として止めに入るべきかを、僕に目配せして来る。僕の方だってそんな視線を向けられても、答えられるはずもない。
そうこうしている内に、その人は胸を張るように、良く通る声で言った。
「よし、もう大丈夫。きっとさ、真空管が原因だよな。多いんだよ、この手のアンプは。後でやってあげるよ、任してよ。うんうん」
どうやらこれは「自分は音響面で特別だ」という、演奏前の自己アピールだったようだ。
当然こんなのはマナー違反もいいところだ。この人のせいで、この最初の曲が終わる頃には、すでに店全体がなんとも気まずいムードになってしまっていた。
ホストバンドのギタリストは、さりげなくアンプのセッティングを元に戻し、素の表情でさらりと一言。
「自分の時にだけね。その内、呼ばれますから。ね?」
このホスト・バンドのギタリストは大人だった。このようなマナー違反なら、いきなり怒鳴りつけたって構わないようなものなのだから。
けれど、言われた方だって同じギタリスト。自分がいかにマナー違反とはいえ「せっかく調整してやったセッティング」を元に戻された上に、子供のようにたしなめられたのだから、すでに一触即発の事態になってしまった。

まだセッションの参加者を呼び入れる前から、ステージではこの有様。
こんな時、(ただの参加者なら逃げられたのにな)と、僕は密かに思うのだった。

つづく


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