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143話 アフタートーク

しばらく沈黙が続いたので、ひょっとして目の前の2人が、僕のもろもろの上手く行っていない状況に同情をしてやしないかと心配になり、ちょっと笑い混じりの話し方に変えてみた。
「ね?笑っちゃうでしょ?なんにも知らなくて。…と、まぁそういう訳で、僕はお2人のようにジャズのセッションに慣れた方にぜひ指導いただければなと、前々から思っていたところなんです。どうでしょうね?いろいろお聞かせいただけませんか?」
この僕の申し出に2人は恐縮し、何度も首を振りながらも、最後には「自分達で伝えられる程度の内容なら」と承知をしてくれた。
そしてギタリストの彼の方は、僕が話したジャズセッションの現場での扱われ方が、いくつか極端な部分はあったにしても、ジャズセッションでは定番の、いわゆる「あるあるネタ」なのだと教えてくれた。さらに、何よりジャズセッションでは、実は「大学」という存在が、非常に重要となっている事も。
ジャズでの演奏の仕方やセッションのルール等は、それぞれの大学にある「ジャズ研(ジャズ研究会)」で学ぶ以外の流れが、全くの皆無らしいのだ。 それだけに、僕のような何の人脈やツテも無しに、いきなり知らないジャズのお店に飛び込み、曲もルールもまるで解らないままにセッションに参加しようとしてみた人が存在した事に、2人とも絶句するほど驚いたらしい。

彼らは僕の状況を親身になって受け止めてくれ、いつしか真剣な面持ちに変わり、夫婦で少々小声で相談した後に「失礼を承知の上で」と前置きをしつつ、僕にジャズセッションの知識を話し始めた。
「自分達の経験も踏まえますと、大学のジャズ研の4年間で教えてもらって来たのは、やはりジャズセッションの一般的な流れの繰り返しでしたね。正直言って、広瀬さんがやっているような当たって砕けろのようなやり方は、ひとりの演奏家として尊敬はしますけれど、今後も効果が上がるとは思えません。自分達が言うのもなんですけれど、ジャズという分野は、新しく入って来ようとする人達に対して、まるで開かれてはいないんですよ。私達がセッションを通じて出会った人達も、決して親切ではありませんでしたし。ブルースの方々がどのようにセッションのやり方を身に付けられているのかは、私達には全くの謎なんですが、少なくとも、ジャズに関してはしっかりと習わなければ無理なんじゃないかなと思います。おそらく10人に聞いて10人が、私達と同じように答えるんじゃないでしょうかね」
性格なのか、それとも職業柄なのか、彼の物言いは非常に明確で、常に誠実さ伴なっていた。それもあって、言われるように、僕の今のやり方では成果は出せないという現実を、この場で受け入れるしかなさそうだった。
一方、このご夫婦から見れば、僕らが楽譜も読めずにどうやってブルースセッションを学べたのかという方がよほどに不思議なようで、そういった意味でも「ブルースマン」達に一定の尊敬を持っているのが伝わって来た。
いつしか、僕がジャズセッションの質問をするように、彼ら2人もブルースセッションについて、僕に説明を求めて来るようにもなって行った。僕らの会話は次第にブルースとジャズの「異業種交流会」のようになって行き、たまたま店にいた音楽好きの飲食客達の関心を引いたようで、気がつけばライブ後の店には、僕らのセッション談義を楽しむように、遠巻きに耳を傾ける人が輪になっていた。

僕が質問をし2人に答えてもらうという流れができてから、僕はいつも持ち歩いていた小さなメモ帳とペンを取り出し、教えてもらった事を逐一書き記し続けていた。 僕の方は至って真剣だったのだけれど、ボーカルの彼女の方は、今まで自分の中にあった「ブルースマン」という無骨なイメージと、目の前で必死にメモを取る僕の姿によほどのギャップがあったようで、何度も吹き出し笑いをされたのだった。それにちゅうちょしてる余裕もない僕は、気にせず、矢のように質問を投げ続けては、メモを取り続けて行った。
聞いた事に関しては何でも二つ返事で答えが返って来た。僕は体の内側から嬉しさが溢れて来て、鼻息を荒くし質問を続けた。まさに乾いた綿が水を吸収して行くようなという言葉がぴったりなほど、それは充実したひと時だった。

そのようなやり取りがしばらく続き、さすがにこれではキリがないだろうと、彼の方が一旦会話を止めて、僕に言った。
「そうですね。やはり、ここはひとつ、ジャズセッションの基本的なやり方を、まずは一通り覚えるしかないと思うんですよ。広瀬さんのような方なら、レパートリーや細かいテクニックなんかは、その後について来るでしょうから。とにかく、日本でも海外でも同じように演っているジャズセッションの一通りの流れを、まるごと頭から覚えてしまってはいかがでしょうかね?」
僕の膨大な量の質問に呆れたのか、はたまた、他に突破口を見出したのか、彼の口調は、きっぱりとしていて威厳のあるものに感じられた。ボーカルの彼女の方も小刻みに何度もうなづき、これが夫婦2人の統一見解であるのが伝わって来る。
僕は恐れながら聞く。
「セッションの流れと言うと、つまりどういう感じの勉強なんでしょうか?ジャズセッションに行く頻度を、もっと増やすとか?」
彼は返す。
「いえいえ、そういう話ではありません。それをしていたら、広瀬さんが既に体験した嫌な思いを延々と繰り返してしまうだけで、一通りの流れを身に付けるまでに、膨大な時間が掛かってしまうでしょう。それに、ジャズの店って、意外と値が張るじゃないですか。現役でバンドマンを続けながらのその勉強の仕方は、なかなかしんどいと思うんですよ」
彼は、特にこの「お金の話」を気まずそうな表情で語った。おそらく今日のライブの客層の感じからも、この2人はかなり収入のある層の社会人なのだろう。こうして同じテーブルを囲んでいても、彼らは特にメニューなど見ずに注文を重ねている。対して僕は、店に気まずくない程度に注文をしているだけで、いつまでも溶け掛かった氷しか残っていないドリンクのコップを手にしているのだ。そんな僕を前に見下したような態度も取らず、率直にこちらの懐事情を心配しての物言いをしてくれる彼らは、本当にありがたい存在だった。

ここで彼らが、一旦お互いに目配せをし合い軽くうなずき合うと、僕に何かの提案をして来そうな表情を見せた。何かの教室のような場を教えてくれるのだろうか。それともこれを機会に、僕とトリオのジャズ・ユニットを組んでくれるのだろうか。
けれどこの後の話の流れは、僕にとっては想像もつかないものだった。
「実はとても残念なのですが、今日の広瀬さんとの素晴らしい出会いが、今後は続けられないのです。こうして色々お話を伺った上で今更言うのも、大変、心苦しいのですが」
こうして切り出された彼の話は、唐突で非常に残念なものだった。
彼は海外への出張が多い商社マンで、実は近いうちに中国へ転勤するのが決まっており、夫婦揃っての長期の移住になるそうなのだ。その期間は最短でも5年ほどとなり、僕との付き合いは、それまでの残りわずかな期間だと言う事になる。 この日に集まったライブの客層も、迫る彼らとのお別れという意味もあっての盛況だったのだ。
彼らとしては、僕に今のような熱意のこもった相談をされ始め、聞くだけ聞いて「はい、今日でさようなら」と言うのがどんどん心苦しくなって来てしまい、話の谷間ができたのを見計らい、今ようやく打ち明けたのだった。 彼らからしてみれば、すがる相手を切り捨てるようで、無駄に罪悪感を持たされ、さぞ迷惑な話の流れだったはずだ。
もちろん、いきなりそんな事情を知らされ、高ぶりきった僕の感情は、一気に弾けたようにしぼんで行った。正直、周りで僕らの話に耳を傾けていた人が多かったのもあり、大恥をかかされたようなところもあった。最初にもうすぐ転勤で海外に移住すると聞かされていれば、僕はこれほど素直に、自分の上手く行っていない状況を明かしはしなかったろうから。

僕は何とか明るめの表情を作り出し、彼らに言った。
「いやぁ~、そうでしたか。すみませんでした。知らなかったとは言え、自分の話ばかりをしてしまって。それにしても、残念ですが、しょうがないですね~。いや~、なんとも、ハハハ」
必死で押し出すような僕の力ない声は、目の前の2人だけでなく、取り囲む人達の同情さえひいてしまったようだった。
ところが彼はさらりとした爽やかな表情で、僕の目を見つめ、淡々と話を続けて行った。
「そこでですね、急な話をしますけれど、広瀬さんは夜のお店のお仕事というお話でしたが、例えば、昼間あたり、そうですね、13時から16時位の時間は、名古屋あたりで動ける方なんでしょうか?」
僕はすぐにはつながらないこの話の流れに、少々戸惑いながらも答えた。
「え~と、16時位ですか?まぁ、そうですね。 夜は店の仕事か、自分のライブを入れたいので、それ以外の時間というなら。よっぽど昼間とか、それぐらいの時間帯でなら、大体は動けるかなと思いますけど。夜遅い仕事なんで、朝はやっぱり遅くまで寝ているので」
彼は小刻みにうなずきながら話を続けた。
「例えばですが、昼間の時間帯でなら、土曜日や日曜日とかでも、ご都合をつけられる日もあるのでしょうか?」
にじり寄ってくるような話し方ではあったので、僕は(何の話だろう?)と少々身構えた。まだ転勤するまでに少しは時間があるらしいので、あと一回くらいなら、僕とのジャズライブの話を考えてくれるのだろうか。
けれど、この話はそういったものではなかった。

彼は軽く一息をつくと、何か商談でも決まったかのような満面の笑みを浮かべ、僕に驚くべきある提案をして来た。
「広瀬さん、ジャズセッションの司会をやってみませんか?」

つづく

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