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95話 ジャガからの提案②

ジャガはいつも以上に上がりまくったテンションで、僕に熱く語り掛ける。
「ね?どうです、広瀬さんもご一緒に!!もう、充分やれますって!!ねぇ?今日のセッションだってバッチリじゃないですか!!そんなテクニックを持ってて、何を迷う事があるんですか?ねぇ?あっ、ひょっとして、じらしてるんですか?にくいなぁ~」
僕は困惑しながら答える。
「いやぁ、そんな、僕、まだ、そんな、自信無いですよ~。それに楽器はハーモニカなんだから、ソロ・パートなんだし」
ジャガは一向に引き下がってはくれず、いつも以上に強引に押し通して来る。
「俺だってサックスですよ。同じソロ・パートですって。でも引き受けましたよ!大丈夫です、広瀬さんなら、やれますって。なかなかの社交家だし。しゃべりも、結構立つじゃないですか。ねぇ?」
この時、ジャガの手には一枚のチラシがあった。それはどこかのライブBarで新しく始まるブルースセッションイベントの告知だった。
この時ジャガが僕に持ちかけて来た話は、すでに慣れっこになったブルースセッションデーへの参加の話ではあるものの、今までとは「ある点」が全く違っていた。
ジャガはニカっと満面の笑みで言う。
「ねぇ、広瀬さん。何でも経験ですって。やってみましょうよ!!『ホスト・バンド』を!!」
なんと、それはセッションに参加する側ではなく、参加者を受け入れる側の話だったのだ。
「もっと他にいますって、良い人材が。何も、僕みたいなのを選ばなくても」
僕はいつまでも断り続けるしかなかった。

ここでいうセッションの「ホスト・バンド」とは、一言でいえば生のカラオケ伴奏係だ。歌いたい人が来れば、全てのホストメンバーで伴奏を引き受ける。ギターを弾きたい人が来れば、そのお客さんとホストメンバーのギタリストだけが入れ代わり、残りのメンバーはなるべくそのギターの参加者を中心とするような演奏をする。
その日の来店者任せにするのではなく、常にギター、ベース、ドラムなどが揃ったフルメンバーでの演奏が可能な状態にしておけるため、どのセットでもある程度は演奏のクオリティーを維持できるという訳だ。
僕のハーモニカやジャガのサックスなどは、ホスト・バンド側に伴奏をしてもらう側と考えるのが一般的なのだけれど、ジャンルや店によっては、ソロ楽器もホストメンバーとして考えている場合もある。

これを引き受けられる演奏者側の条件はというと、まず当たり前にある程度楽器ができる事。さらにセッションの定番曲のレパートリーが頭に入っている事。そしてできる限り、お客さんより早く店に入り、セッションデーの終わりまで時間的に付き合える人だ。
これが網羅されていれば別にプロである必要もない。どちらかというと、社交的であるとか物腰がやわらかい人などが「ホストメンバー」に求められる。結果として9割以上がボランティアのアマチュアバンドマン達で回っているというのが実情だ。(もちろんこれは僕が知っている日本での話なので、海外のセッションデーではどうなのかまではわからないけれど)

ところがこの状況に、とりあえずの楽器の練習場をと考えているような下積みのプロのバンドマンなどもたまに加わっていて、この仕組みを利用しながら、日々の伴奏で自分の楽器の腕を磨き続けていたりもするのだ。
もちろんプロならばそこで少々のギャラも必要になるため、以前僕が打ちのめされたハイレベルなセッション店のように、セッションでの参加料から、バンドへチャージバックをさせる必要が出て来る。これがプロのバンドマン達の、ライブが無い時の収入源となる。つまりセッションデーのホスト・バンドのメンバーになるのも、プロのバンドマンへの「登竜門」のひとつなのだ。

この提案をされた僕は、もちろんプロを目指す訳でもなければ、そもそも伴奏楽器でもないので、強く断った訳だ。
けれど最後には強引なジャガに根負けし、「まぁ、自分は構いませんけれど」というくらいの受け身な返事をし、「とにかく、ジャガと一緒に、新しい店のセッションデーに遊びに行く」くらいのニュアンスで話を決め、その店への返事はジャガに任せる事にした。
その日はそのままイベントが終わるまで普通にセッション演奏を楽しみ、またいつものように店の入口でジャガとは別れ、僕は受け取った店のチラシを手に家路についた。

ところが、このホスト・メンバーの話を聞いてからの僕は、「自分は構わないけれど」なんて受け身で控えめな返事をしたくせに、それはそれは飛び跳ねるほどの浮かれ様で日々を送るようになった。なにしろ、いきなりアマチュアの集団から、一歩抜きん出たような感覚を味わえるお誘いだったからだ。
それからは会社でも妙に自信にみなぎり、プレゼンテーションや外部との打ち合わせにも、いつになく積極的になった。
後輩達へも急に先輩風を吹かせるようになり、自分から飲みに誘ってみたりもしてみた。誘ったせいもあるけれど、それなりに「もっと酒も飲めるようにならなきゃな」なんて思い、いつものコーラかウーロン茶の2択も変え、多少無理をしてお酒も飲むようにしてみた。

なぜ、急にそんな事をしてみようという気になったのか。それは、短期間に「もっと社交的な人間にならなければならない」と思えたからだ。
セッションのホスト・メンバーになるのだから、セッションの定番演奏曲を網羅しておくとか、楽器の練習を怠らないとかが現実的なのだろうけれど、僕は、もっと喋れるようにとか、酒を飲みながらでもさほど酔わずにいられるようになるとか、対人関係や接客面ばかりを強化する事を考えていたのだ。そんな事を頑張ったところで、そんなにすぐには何も変わらないというのに。
改めて、基本的な部分をしっかりしなければいけないと分かるのは、初めてホスト・メンバーとして参加する事になった日の、前日の夜になってからだった。

僕は真夜中に荷物を引っ掻き回し、汗だくで探し物をしていた。
(そうだよな、迂闊だったよ。ホストになったんだから、全12keyのハーモニカを持ってなきゃいけないんじゃないか!D♭とF#、どこにしまったんだっけなぁ~)
自分が参加者なら吹きたいKeyだけでも文句は言われない。今までだって、珍しいKeyを指定された時には「あっ、そのKeyは、今日は持って来てません」なんて、気楽に断っていたのだ。
ところが、今回は相手を受け入れる側になる訳だから、そう自分勝手はできない。ましてやハーモニカはKeyを持ち替えれば演奏できる楽器なので、全12Keyを物理的に揃えていれば、それだけで問題がないのだから。

結局、僕はその内の1種類F#のKeyを見つける事ができず、セッションデーが始まる前に楽器店へ寄って、新品を購入する事にした。
ところがいつもの馴染みの楽器店に行ったものの、運悪くそのKeyが買えなかった。あまり使われないKeyなので、店側も仕入れていなかったのだ。
その場でいきなり「注文待ちですね」などと言われ、後悔しても時すでに遅し。数時間後には初めて行くBarで、会ったばかりの人達から指示されたKeyのハーモニカで演奏しなければならないのだ。持っていないKeyを指定されたら、そこですでにホスト失格ではないか。
(なんで売ってないんだよ!F#!楽器専門店なんだから、全部のKeyを売ってるのが当たり前でしょうが!ピアノとかだって、このピアノ、ファ・シャープがないですけど、構いませんよね?なんて返事で、一体、誰が納得するって言うんだよ!)
僕はパニクり、怒りで鼻息を荒らげて楽器店を後にした。
こういう問題は割りと良く起こる事で、僕が使うテンホールズハーモニカは誰もが使うKeyはほぼ決まってしまっているため、低単価な楽器ではありながらも、売れるものしか置いていないのが当たり前だった。
それ以前に、ハーモニカを始めてかなりの歴がある自分としては、本来は当たり前に常に揃えて置かなければならないのが12Keyなのだ。「12本でひとつの楽器」なのだから。
けれどもストリートミュージックだろうが、ブルースセッションだろうが、普段使わないKeyは、やはり誰だって要らないし、持ち歩かないものだ。
僕は自分の準備が悪いのを棚に上げ、ハーモニカの商品の充実を考えない楽器店の悪口をさんざん頭に並べ立てながら、やがて約束の時間が来てしまい、初めてとなるBarへと向かう電車に乗るのだった。

普段は乗らない電車に揺られながら、今日の演奏で、結局購入出来なかったKeyばかりが指定されたらどうしようとばかり考えてしまう。Keyの組み合わせを変えるとか、他のメンバーに譲るとか、はたまたジャガにソロ演奏を任せ自分は休憩するとか。そんな対策面を考える事ばかりに頭を使ってしまっていた。
僕は任された事のないホスト・バンドという立場に酔いしれ、浮かれまくっていた日々を振り返り、激しく後悔していた。
考えてみれば、伴奏を引き受けるだけなので、店側の人間という訳ではない。社交的になる必要など全く無かったのだ。
なにより、そんな気質がたった数日間くらいで身につくはずもないのだから。

つづく


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