64話 昔聞いた噂①
数日後、僕は会社でハーモニカでの路上演奏の事を話していた。それもかなり自慢げに。
そんな僕を、上司や先輩達は茶化しまくる。
「へぇ、意外だなぁ~、広瀬。音楽なんてイメージ、まるで無いのにな」
「そうそう、なんだか、一番、つながらなそうな感じ~」
僕は照れながらも、ちゅうちょせず、かつてはハーモニカを吹かせれば、誰もが一目置くような存在だったと言い放ち、渋谷駅前やホコ天での演奏の件を、まるで自分がバンドのメンバーであるかのように話した。大勢の人が集まって演奏を眺める様子の説明など、虎の威を借るもいいところだった。自分は、たまたまその演奏に加えてもらっていた時があるだけだというのに。
さまざまな質問が飛び交い、それに対し僕は偉そうに答えて行く。例えば、いきなり演奏をするにしても、曲の打ち合わせなんかはどのように行うのかや、楽器の音量などを調整するための音響面は一体どのようにしているのか。さらにはそのような行為に対して、警察は何も文句を言わないのか、法律は無いのかなど、その質問にはキリがなかった。普通の人には「セッションという即興演奏」と「路上での演奏」という、二重の謎があるからだろう。
もちろん、自分が参加していたのはかなり前の事として、振り返るように話すようにし、当然売り場応援の仕事を抜け出し演奏に参加した事は言わなかった。
僕は、あの日、路上で弾き語りの人から「オレ、ひとりでやって行きたいんですよね~」と、突然拒まれたのが、まだ引っかかっていたのだ。「自分の方が演奏では上だ!」と言い返したかった悔しさが日を増すごとに大きくなり、誰かに「ハーモニカを吹ける」と自慢したくて仕方がないほどに膨れ上がり、何かのはずみで話し始めてしまったのだった。
下積みの日々の中にあって、初めていつまでも質問をされるのが嬉しくて、僕は人気者にでもなったかのように細かいところまで話し続けていた。
トイレに財布ごとボーナスを流したくらいのドジから飛び出した、思いもよらない華やかなエピソードに、課の同僚達は大きく湧き「今度カラオケに行った時にでも、聴かせろよ」とか「社員旅行のバスの中で、余興として披露しろ」などの話が出るほどだった。
どの話題も、ハーモニカを演奏をする楽器としてではなく「一発芸のような扱い」ではあったものの、僕はその反応が嬉しくて、それらの披露の機会を心待ちにするほどだった。
ところが、この話が数日に渡って盛り上がりを見せたせいで、運が悪い事に、回り回って面倒な先輩の耳にまで入ってしまう。そしてある昼休みに、僕は会社近くの食堂に呼び出しを食らう事になってしまったのだ。
そこは会社から最も近い食堂だったものの、あまりにも味が不味く、会社の同僚達はまず来ない。そこへ呼ばれるという事は、ある程度お叱りを受ける覚悟が必要だった。
しかも、その先輩は、僕の上司への口のきき方や飲み会などで酔った時の先輩達への態度などに怒り心頭らしいと、ちょうど同期社員を通じて聞かされていたところだったのだ。
食堂に着き、僕の分の昼食をおごるという事で、2人分の注文を気前よく終えた先輩は、注文取りの店員が離れるやいなや、にこやかな顔のまま、まるで前もって準備をしていたように、じょう舌に説教を始めた。
会社ではたった1年の違いとはいえ、大卒となると自分の兄よりも年上で、怒られている感は半端ではなかった。
雨あられのように降りしきる弾丸のごとき僕へのダメ出しが続く中で、なんとか自分の頭に入った言葉はわずかな部分だけだった。
「外で演奏などをして小銭をもらうのは一部上場した企業の社員のする事ではない。バレれば小銭と言えどアルバイトと見なされ、クビもありえる」という下りだ。
文句を一通り言い終えるまでには、届いた料理は完全に冷めてしまい、先輩は満足げな笑顔を浮かべ「ほら、食べろよ」との言葉で、長い説教を締めくくった。
一切味など感じない定食を無理矢理たいらげ、僕はまるで奴隷のようにヘイコラと頭を下げ、全く逆らう意思のない事を表情で伝え、おごってもらった礼を言い、午後の仕事へと戻ったのだった。
後になり「クビ」という言葉のうすら寒さと、時間とともにグツグツとマグマのように煮立って行く、文句を一方的に言い放った先輩の満足気な表情への怒りが、まるで寒暖差のように繰り返されて、その日の午後は到底仕事どころではなかった。
「なんでハーモニカの事を言ってしまったのか」と後悔しながら、夜までの時間をやり過ごすしか無かった。
その日、僕は足早に寮へ帰ると、先輩への怒りに任せて、ある一大決心をする事になる。
数日後の週末の昼下り、僕は実に久し振りにハーモニカをジャラジャラと布バックに入れ、卒業記念のアメリカ旅行で買った、派手な金バッジをいくつも付けたジージャンに、下は擦り切れたストーンウォッシュのジーパン姿という、およそ会社員らしくは無い姿で、渋谷駅のハチ公前に来ていた。
ホコ天の閉鎖からなかなか来る機会は無くなってしまったけれど、相変わらずの人の多さで、歩くのも面倒なほどの混雑だった。
モヤイ像という待ち合わせによく使われるモニュメントの前を通り過ぎ、やや遠くに、かつて凄腕ギタリスト達とセッション演奏をしたハチ公像を見る。
当たり前だけれど、週末とはいえかつてセッションを繰り広げた演奏者達の姿はそこにはない。
僕は、食堂で先輩から一方的に説教をされた事に、いつまでも腹を立てていた。
説教そのものは、会社でハーモニカの路上演奏の経験を自慢気に話してしまった事への反応で、気分は悪いながらも聞き流していいくらいの、とるに足らないものだった。けれど、その結論として「もう、そのような社会人らしくない行動はとりません」と反省をさせられた事が、最も納得行かない部分だった。
そもそも最近では寮の部屋でポワ~ンと気が抜けたような音を出すくらいで満足していたはずだったハーモニカなのに、なぜこの件で急にかつての情熱やプライドが激しく湧き上がって来たのかは分からなかった。けれど、たかだか職場に一年早く入ったくらいの関係しかない人に、それを反省させられなければいけないのかと、猛烈に腹が立ったのだ。
ハーモニカだろうがバンドだろうが、自分の趣味の範囲、ただし「路上演奏」や「投げ銭」は問題だ、という話なのだろうけれど、僕は「後輩なのだから従え」と言われたようで、許せなかった。
そんな事をいつまでも考えている内に、人間である前に「会社人」になれと言われたように感じてしまい、もはや路上での演奏を再開させる事が自分のアイデンティティーの再構築のために必須であるようにまで、結論づけてしまったのだ。
そしてその勢いに任せ、「先輩のような会社人間には絶対にならないぞ!!」というみみっちいスローガンを掲げ、自分だけの「ハーモニカ演奏・趣味充実キャンペーン」を開始するために、もう一度かつてのセッションの聖地を訪れ、自分なりに儀式のような事をしてみたという訳だ。
けれど、その地に立ったものの、僕はさしてする事もなく、ただキョロキョロとするだけだった。
(う~ん、まぁ、ただの場所だよな。もともと人が多く集まっているっていうだけで、ステージとかではないからなぁ)
たった数ヶ月前だと言うのに、かつて感じたようなこの場所への特別な感情は、別段湧き上がっては来なかった。自分が会社人間になってしまったせいなのか、この場所で演奏していた事が本当に信じられないというくらい、異常な行為のように感じられてしまう。明らかに公共の場であり、邪魔に思う人の方が多いはずだろうから。
どんな事でも実際にやってみると、そう感動するような事にはならない。以前よく来ていた場所に立ち寄った、ただそれだけの事だった。
とはいえ、その日の本来の目的はその場所に立ってみる事ではなかった。実は学生の頃に聞いた「ある噂の場所」を思い出し、その地を目指すのが目的だったのだ。
その「噂の場所」とは、渋谷と原宿の真ん中辺りにあり、弾き語りの路上演奏者が集まっていて、週末になるとブルースのセッションなどをしているという、知る人ぞ知る通りだった。
それは数回ほどハーモニカを教えた事がある専門学校の後輩から聞いた噂話で、ぼんやりとした記憶をたどるような捜索だった。僕は、とにかくあてもなく歩いてみる事にした。
歩きながら、頭では少し前に見掛けた弾き語りの人の演奏風景を思い出していた。ギターは「ジャッカジャッカ」で歌声は生だ。となると当然ハーモニカも生演奏だろうから、高校の時のような感じになる訳だ。もうポール・バターフィールドのようなエレクトリックハーモニカのサウンドは楽しめないのは残念だけれど、それでもとりあえず、音が出せれば今は御の字だ。
だいたいそもそもの目的は、どんな演奏をするかより、先輩の言う事を聞かず、会社に入っても路上で演奏を続けるという事の方なのだから。それは半分はあてつけのようなものだった。
この辺りはたった数ヶ月前、専門学校の学生として毎日歩いていた道のりだった。懐かしくも、それでいて都会のペースで早くも様変わりしていた街並みに、いちいち驚かされる。
よく学校帰りに通った楽器店に顔を出してみるものの、知り合いの店員Uさんの不在からついでの買い物は諦めた。
そのまま、わずかに知った顔の後輩が残る母校の前を、気まずさから何となく足早に通り過ぎる。
かつて小耳に挟んだ情報だけを頼りにする旅は、なんとも心もとないもので、前日に久し振りの猛練習をしたそれぞれのKeyのハーモニカが、いつまでも布バックの中でガチャガチャと音を立て続けていた。
そしてかつて熱いブルースセッションを繰り広げたホコ天を横目に、原宿駅へとたどり付く頃、僕はようやく、その噂話が「記憶違い」だったようだと結論付けるしかなかった。
その後も諦めきれず、ただあてもなくただブラブラと捜索を続け、とうとう夕暮れ時に差し掛かる頃にまでなってしまった。
結局、そう都合よくドラマティックな展開がある訳もなく、大量のハーモニカを小脇に抱えた、ただの会社員の、週末の東京散歩だった。まぁそれでも、自分の中では「会社人間にはなるまい」と決心して動き出してはみたのだからと、それなりの自己満足はあった。
気づけば腹も減っており、たまたま漂って来た強烈な香りの先には「博多ラーメン」の店の看板が見えた。まだ当時は東京で豚骨味が珍しく、僕はその日の夕食をその店に決める事にした。
その店に入る前に、僕はハッとさせられる。どこからか、かすかにギターのような音が聴こえて来るではないか。
僕はその先に向かい少しばかり歩き、角を曲がった途端に絶句した。
そこには弾き語りの人がおり、ギターをかき鳴らしながら叫ぶように歌を歌っているではないか。
そしてその先にも、かなりの数の弾き語りの人が連なって行く景色が続いていたのだった。
つづく
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