140話 突破口
2軒目のジャズセッション参加から、1ヵ月ほどの時が経った。
僕のBarの仕事の方は相変わらず順調だった。平日のお客さん参加型のセッションデーの日は、ほとんど1人で店を任せてもらえる状況となっていて、マスターは店の新しいメニュー展開や新店への拡大を考える方で忙しくなり、平日は、電話である程度店の状況を聞き、問題が無さそうなら、閉店ごろに確認をしに来るぐらいになっていた。僕は自分がある程度店の留守を任せられるほど信頼されているんだという自信の中で、淡々と日々の仕事を続けていた。
週末ともなれば、それぞれのバンドのライブイベントが入って来るので、そのバンドの集客に合わせて料理の注文が増える日もあったり、当てが外れて店がガラガラだった日もあった。時折名前がある程度知れたミュージシャンが来るような日もあった。そういう日は、自分の音楽的な勉強になるかと言うと、そう都合良く行くはずもなく、当然ライブ客も多くなるので、マスターはカウンターにはりつき、注文用にもうひとり若手のバイトもいて、僕は厨房で料理に掛かりっきりとなる。とてもじゃ無いけれど、音楽を聴くどころではなかった。
そもそも毎晩毎晩違うバンドが出演するのがライブBarという場なのだろうけれど、自分が任されていた担当曜日のせいで、僕にとっては常連客が出入りする平日のセッションイベントの方が、自然にBarのイメージとして定着して行った。
将来自分が店を持つ事を目指すのだとしても、どの辺りでどのような店なのかなどという具体的な内容を考えるまで行かないでいる日々なのに、お店の常連さんや友人達からは、事あるごとに「いつか店をやるとしたら、どんな風な店をやるの?」という質問ばかりが増えて行く。僕はそれを「やっぱりハーモニカを生かしたお店をやるんでしょうけれどねぇ~、どうでしょうかねぇ~」などとその場限りの答えで誤魔化すように、とって付けたような返事を続けるばかりで、実のところまるで真剣には考えてはいなかった。それというのも、常に僕の頭の中を埋め尽くしていたのは、結局自分では手も足も出なかったジャズセッションの事ばかりだったからだ。
まだ学び始めたほんの入り口くらいのところなので、単純に3軒目のジャズセッションの店を新たに探し始めれば良いだけなのだけれど、そうと思えるところまで僕のモチベーションを上げられないでいた。自分は音楽の世界で、演奏だけでやっていける状況では無いにしても、セミプロとは言えるだろうという思い込みがあっただけに、1度ならず、2度までも大勢が見ているステージの上で、はっきりと演奏での失敗をしたのだから、単純に「次こそは!」と前向きになれるはずもなかった。
加えて、実のところ、僕は密かに音楽以外の、とある「くだらない部分」の方で、いつまでもうじうじと塞ぎ込んでいた。それは2度連続で言われた、まさかの「大学」について聞かれた事だった。
カウンターのお客同士の会話の中でも、意外なほど「出身大学」の話題は多く、それらの話で盛り上がっているのを聞きながらも、ぼんやりといらない心配ばかりを考えるようになってしまっていた。
(多いよなぁ~、大学の話って。う~ん、大学かぁ~。まさかこんなにも学歴の事を聞かれるようになるなんてなぁ~。学歴社会なんてもう古い!って言われていても、世間一般的には、やっぱりそういうものなのかなぁ~。玩具メーカーにいた時だってそんなには言われた事がなかったのになぁ~。ひょっとして名古屋っていうお土地柄もあるのかもしれないけどさ。それとも、僕の年齢くらいによく出て来る話題なのかなぁ。もちろん、今から行く気もないけどさぁ。なんにしても、これって今更どうこうするってもんでもないだろうし。今後はどうするか、本当に参るよなぁ~)
僕はデザイン系の専門学校を出てすぐ企業に入ったので、大学には行っていない。あまり学歴を劣等感には思わなかったけれど、会社員になって、同期などからたまに言われる事があった。企業には「給料面」や「学閥」なんてものもあるからだ。給料の事は、年齢の違いもあるからそれほど気にはならなかったけれど、大学に行っていないというだけで常識が無い人のように言われたり、経験値が足りないように判断された事も少なからずあった。絵を描く、物を作るという世界にいたので、一方的に蔑まれるまでの事はなかったし、時には憧れられる場面すらあったのだけれど、それでも大学出の人からは、何かしら見えない線を引かれているのを感じてはいた。ただ自分自身に学歴への劣等感が無かったので、それを特に気にしては来なかったのだ。
何よりバンドのような音楽の世界では、それはまったくの無価値だと思い込んでいた。ハーモニカを吹くという事においても同様だった。音が良いか演奏の腕が良いか、音楽として良いか悪いかそれだけが全てなはずだった。クラシックを学んでいる人達の音大話ならまだしも、バンド音楽の様な世界でまで学歴なんかの話を持ち出す方が頭がどうかしている。ブルースなんてその典型のはずだ。高学歴のブルースマンなんて聞いた事もない。
それなのに、演奏ジャンルがジャズになった途端、それが前面に出て来るのはなぜだろう。確かにジャズは小難しく、高学歴の人達がやっていそうな印象があるけれど、そんな大きな違いがあるものなのだろうか。僕はまるで、この件の自分の中での落とし所がつかめないでいた。
(ひょっとして将来自分が店をやるようになっても、「広瀬さんて、大学はどこなんですか?」なんて、お客さんからしょっちゅう聞かれ続けるんだろうか。嫌だなぁ、ブルースやハーモニカの話を中心にするどころか、そんな事ばかり聞かれるんだったら、たまったもんじゃないよなぁ~)
僕は自分の店のイメージどころか、嫌なお客の対応や嫌な質問からどう逃げるのかというようなどうでも良い事ばかりを、想像の中で膨らませて行くのだった。
そんなある日、年に数回ライブ出演するくらいの間柄のライブハウスのオーナーさんから電話があり、珍しいオファーを受ける事になった。 その店もブルースのような渋めなジャンルのライブが多い店で、僕が働いている店と同じような客層を相手にはしているものの、店長さんが料理人で、しっかりと充実したフード類で勝負できるレストラン寄りな店だった。
オーナーさんはとあるバンドの対バン相手を探しているというのだけれど、いつも頼んでいるバンドの顔ぶれにはことごとく断られたというのだ。 こういう話は通常だと評判や態度が悪かったり、全くお客を呼ぶ気のないバンドだったりするのだけれど、今回はそうではなかった。聞けば、そのバンドの演奏内容の方に、対バンの見つけづらさがあったのだ。
僕はその電話に、思わずのけぞった。
「えっ?対バン相手は、ジャズのバンドなんですか?」
電話の向こうで、オーナーさんは困り果てたように名古屋弁で話を続けた。
「ほうなんだわぁ~。ウチもさぁ、そういうライブをやってくれるのはありがたいんだけどさぁ~。まぁ、ドラムやベースが入ったバンドじゃなくて、女性ボーカルと男のギターのデュオでなぁ~。なかなか洒落ててイイ感じなんやけど、やっぱりステージでお客に聴かせるとなると、もっても1時間位ってところかなぁ~。ほやけど、いざ対バンを決めるとなると、ドーン!っていう重たげな音のブルースバンドと組ませる言う訳にもいかんだろうし、音量的に、ロックっちゅう訳にも行かんし。 何よりさぁ、ウチに出入りしているような連中は、ジャズって聞いただけで、みんな嫌だって言うんだわぁ~。だもんで、前にも、ちょこっとジャズっぽい曲を演っとった広瀬君を思い出してさぁ~。なんとか、そっちで適当なメンバー見繕って、演ってもらえんかなぁ~?どうだろうねぇ~?」
その店は、ベース・ドラム入りの爆音系バンドのライブがほとんどだったので、ジャズとの対バン相手となると探しようが無いのだろう。それに、どんなバンドだって相手がジャズとなれば、そうやすやすと「やりますよ」とは言えないはずだ。バンドの毛色が違えば観ている方は新鮮かもしれないけど、ブルースのようなジャンルのライブを主軸にしているような店は、大概の場合、対バンライブの最後、双方のバンドで「1曲セッションでも演りませんか?」という話になるはずなのだ。その時の事を考えると、相手がジャズバンドだったら、まずセッションにならないだろう。もちろんこれはライブのオマケの様なものなので話の中心ではないのだけれど、セミプロやアマチュアバンドにとっては、対バンを断る理由のひとつにはなるはずだ。
答えに困っている僕に、オーナーさんは次々に言葉を連ねて来る。
「まぁ、ジャズって言っても、相手はアマチュアだしさ、ポップスに毛の生えたようなレベルだわ。確かにブルースに比べればコード進行なんかも複雑やし、リズムは裏だろうけどよ。広瀬君ならセッション演っても、たぶん合わせられると思うんだわぁ~。ほら、前にウチに広瀬君が連れて来たバンドでも、スラッとジャズみたいなインスト曲演っとったじゃんかさ。あんなノリで、気楽にやってもらえりゃええんだわ」
次々に並べられる言葉にも、僕は良い返事を出さないでいた。僕だって他のバンドマン達と同じだ。いや、今となっては僕の方が他の誰よりも出演に関しては後ろ向きかもしれない。つい最近、ジャズセッションで2度も失敗しているのだから。
いつまでも返事をしない僕に、オーナーさんは伝家の宝刀を抜いた。
「でな、何よりそのジャズユニットの子らは、意外とお客呼べるらしいんだわ。だもんで、この日広瀬くんの方は、集客なんか考えんでええんだって。前半の半分を、ちょちょっと、気楽にライブを受けてくれりゃ~と思うんだわ」
集客力のある相手と組める、これほど理想的なライブ話は他にはない。バンドマンとしては嬉しい限りだ。ただその相手のジャンルがジャズだという点を除けば。
「あのぅ~、オーナーさん、その話って、対バンと言うからにはやっぱり最後に1~2曲は、絶対にセッションするんですよね?やっぱり、集客力もあるその人達に合わせて、ジャズっぽい曲を選曲しなきゃならないとなると、僕の方も声を掛けられるメンバーが、ちょっと思い当たらないんですけど」
あえて自分の理由だけではないという、言い訳めいた物言いではあるけれど、これはとても重要な点だった。ライブとなると、僕1人だけの事ではないのだ。僕と残りのメンバーで、ある程度ジャズに釣り合うような演奏をできなければならないのだから。
「いやいや、だから、そこはええんだって。最後にセッション2~3曲やる時はさ、全員じゃなくてもさ。そのジャズの2人と、広瀬君の3人で演ってもらえりゃええんだって。当然、向こうの2人はブルースなんか、できゃへんもんでさ。よっしゃよっしゃ!ほなっ、決まりでええわな!ほなっ、頼むわな!助かるわ!」
一体どこをどう取ったら、僕がこの話を受けると聞こえたのかわからなかったけれど、オーナーさんは、この電話の間に既に対バンの決定をしてしまったようだった。しっかりとお客さんを入れられるユニットならどこの店でも受けたいはずだ。僕が働いている店だって、多分同じ判断をするだろう。
頭の中では、向こうがデュオなら、こちらもトリオくらいのメンバーの方がバランスが取れるだろうから、アコースティックでいつも演っているメンバーにでも声を掛けて受けてもらおうかなどと、ぼんやり考えていた。
けれどその時の僕は、正直そのライブで受け持つ半分の1時間ほどの演奏内容よりも、最後にオマケで演るであろうジャズセッションの方が、大きく頭の中を占めていたのだった。
つづく
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