78話 弾き語り人①
バブル崩壊。それは当時、日本人の誰もが経験した壮絶で長きに渡る黒歴史で、相次ぐ大企業の経営破綻、連鎖する倒産、大量のリストラ。そのまま就職氷河期へと突入し、その後数十年と経済を立て直せない日々が、どこまでも続いて行く。
僕が入社した年にすでにバブルは崩壊したと聞いてはいたけれど、僕の会社でその影響を肌で感じる様になるまでには、ある程度の月日が掛かった。
ある日、路上で演奏する仲間マーシの会社が倒産したとロフトから聞き、次にロフトとも連絡が途絶えてしまった。
しばらくは休日のたび、いつも顔を合わせていた場所で僕ひとりが待っていたけれど、もうそれっきり2人と会う事は無かった。それは、僕が3人の中で最も余裕がある状況だったからなのだろう。電話をしてみようかとも考えたけれど、2人ともおそらく今はそれどころじゃないのだろうなと思えた。あれほど胸踊るような楽しい関係だったのに、実にあっさりとしたものだった。
この時期の失業は他の時代とは違って、記録的な自殺者の急増が示す通り、待ったなしの状況だったのだ。僕が逆の立場でも、誰からも連絡などしないで欲しいはずだ。
その後別の用事でその駅を通る事があったけれど、かろうじて数組くらいの顔見知りの弾き語りの人を見掛けるだけで、演奏者の数自体もかなり減り、場の雰囲気もすでにすたれたように様変わりしてしまっていた。
やがて僕の会社も大量のリストラを始め、自分は若さから運良く残れはしたものの、急激なIT化の波も加わり「素早くデザイン画を描ける」なんていう自分のスキルが不要になるのも時間の問題に思えた。
毎週のように、お世話になった先輩や上役が、最後の挨拶をしに各部署を回るのを見ているしか無い日々が続いて行った。同期もかなり減ってしまい、自分もとにかく問題を起こさないようにだけはと、ビクビクする日々が半年ほど過ぎた。飲み会も減り、カラオケの間奏でハーモニカを吹くなんて浮かれた機会も、すっかり無くなって行った。
ある程度リストラの波が収まって来た頃、僕は寮で少しずつハーモニカの練習を再開させるようになる。もう一度、路上でのセッション活動を始めて行こうという、気持ちの余裕が生まれて来たからだ。
休日に、ハーモニカと電池式のアンプを抱え、久しぶりにかつてのあの駅で降り、いつもの場所あたりをふらついてみる。
人通りも減り、当然マーシやロフトの姿を見る事もなく、顔を知っているメンバーが数人いても、彼ら2人の話を聞く事はなかった。
世間話のついでに「軽くセッションでもしよう」とはなるのだけれど、常に1回きりのセッションで、しばらく演奏を続けたくなるほどの気の合うメンバーには出会えなかった。
かつての路上での盛り上がりはバブル経済がもたらしていたのでは思えるほど、それ以降の路上演奏では賑わうという雰囲気が生まれて来なかった。口々に「路上だとスタジオ代が掛からない」とか「練習くらいにはなる」なんて気のない言葉ばかりが飛び交い、悪い事はしていないという言い訳を口にし合うような場面が当たり前になってしまった。
そんなどことなく惨めな状況でも、やはり音を出せる機会は貴重だと、僕は時間を見つけては同じ場所をふらつき、顔見知りを中心に声を掛け、一過性のセッション演奏を繰り返していた。
そんな日々の中で、僕は日本語でオリジナルのブルースを歌う、弾き語りの「とあるストリート・ミュージシャン」に出会う事になる。
彼はかなり年上の地方出身者で、100万円を貯金して、上京し小さい部屋を借り、朝から晩まで路上で演奏をしながら、音楽関係者からのスカウト話を、信じて待つのだという。つまり売れなければ諦めて帰るという一世一代のギャンブルに、自分の人生を賭けていたのだ。
初めて会った時、僕は今までと同じ様にしばらく彼の演奏を眺めてから、セッションをしようと声を掛けたみた。彼はすでにこの駅の別の場所で、僕のハーモニカの路上演奏を観た事があったらしく、快く受け入れてくれた。
彼のオリジナル曲に自分のハーモニカを合わせてみて、お互いの相性の良さにすっかり意気投合し、休日のたびに路上での演奏を共にするようになった。ギターの弾き語りとハーモニカのデュオなので、よく重鎮ブルースマン「サニー・テリー&ブラウニー・マギー」の話をして盛り上がったものだった。
彼はブルースを軸に演奏していても、オリジナルの作詞作曲が中心なので、セッションではなく編曲に近いような範囲でのハーモニカ演奏を、僕に求めて来た。当時の自分には数段上の要求に、今までの演奏経験で得た全てを総動員させる努力が必要なのだけれど、それが間違いなく自分のスキルアップにもつながる実感が持てていた。
彼には、かつて組んでいたマーシやロフト達のような気楽さや適当さはまるでなかった。あるのは、彼の持ち金がなくなるまでのリミットと、なんとかして音楽の世界で仕事をしたいという、本気の熱意だけだった。
彼と音を重ねるようになってからは、途端に会社生活の方でも充実し始めた。「もうひとつの世界を持っている」という事から来る自信なのだろう。それに自分はプロを目指している訳ではなくても、プロを目指している人と共に演奏をしているという事が、単純に誇らしくもあった。
彼とはライブハウスに出演した事もあったし、駅や場所も変え、様々な路上で演奏も続けるようになった。ライブ出演時に録音したカセットテープがまるで作品のように嬉しくて、毎日のように自分で聴いたりもしていたほどだ。
お互いの部屋に行き来した事もあった。彼の部屋は風呂もなく、トイレは共同だった。荷物はほぼ無く、机や椅子もなかった。仮の家という事なので、それで良いのかもしれないのだけれど、なかなかストイックな生活ぶりだった。
逆に僕の部屋に来た時の彼の衝撃は、凄まじいものだったようだ。なにせバブル絶頂期に建った新築で、風呂・トイレ・洗濯機・キッチンが揃っているどころか、そのガス代電気代の多くを会社が持っていたのだから。
彼は僕を「金持ちのボンボン」のようにからかいながらも、同じ路上で演奏する自分との違いに愕然としていたようだった。
大不景気はいつまでも続いて行った。とりあえず自分がクビにだけはならなければ良いというだけの、ゆらりゆらりとした灰色の会社員生活ではあったけれど、ひそかに休日の路上で演奏活動を続けていられる事だけが、僕の大きな支えになっていた。
たとえ仕事面で自分の企画が採用されなくても、上司や先輩からポンコツ扱いされても、会社なんて自分の中のひとつの居場所でしかないくらいに思えると、それだけでなんとなく乗り切れてしまうものだ。
入社してからの月日を重ねた事で、気がつけば僕は自分の企画開発の仕事以外の「売り場での販売員対応」や「実演販売」なんかの仕事も、ずいぶん上手くなり自信もついていた。考えてみれば、お客さんに自社の商品を勧めるなんて、外で見掛けた知らない弾き語りの人に「一緒にハーモニカを吹かせて下さい」と申し出るより、遥かに簡単な事なのだから。
バブルが崩壊した大不景気の中を、僕はそれなりにエンジョイしながら生きていたのかもしれない。
そして、まるで季節がめぐるかのように、また路上演奏の相方との別れが来る。
きっかけは彼からの、突然の、一方的な激しい八つ当たりだった。僕も腹を立て、激しく言い争ったけれど、その内容はあまり覚えていない。全てが揃った社員寮に温々と住み、休みの日になるとそれっぽい身なりに着替え、自分の横に座って、何のリスクもなく音楽活動を続けている僕みたいな奴に、その日のストリート・ミュージックに人生を賭ける男が腹を立てた、というところだったのだろう。
それから、しばらくして彼は姿を消す。とても良いミュージシャンだったけれど、その後は彼を観た事がなかった。単純にリミットが来て地元に戻ったのかもしれない。
しばらくしたある日、僕は電池式のミニアンプを持って、かつてマーシやロフトと演奏したあの場所で、たったひとりでストリート・ミュージックをやってみようと思い立つ。
コンビを解消した事で「誰かに伴奏をしてもらわなければハーモニカを吹けないなんて、そんな相手任せではダメだ」と、急に思えたからだ。
同じ場所に立ち、同じシチュエーションの中、自分ひとりだけいつもより心臓をドキドキとさせながら、勢い任せに、定番のブルースフレーズからハーモニカを吹き始めてみる。
まだ自分の演奏にあまりバリエーション性なんて無かった頃だったけれど、たったひとりでそれをやってみると、ハーモニカの音だけが路上に響いているのが、なんとなく新鮮な感じがした。そういう事は有名な奏者だけがやって良い事のように思っていただけに、それをしている自分に、独特の高揚感が沸いて来る。
そしてある程度遠巻きにでも人が観始めてくれたのを確認すると、自分が得意とするバンプ(汽車のマネ)から、ブギ(早いブルース)をやってみる。そして、まだ観てくれている人がいるのを確認し、今度はややカントリーっぽいリズムパターンに変えたのどかなブルースをやってみる。
けれど、もうそれだけで、自分ひとりで出来る持ちネタはスッカラカンだった。ネタだけでなく、情熱の方もすでに尽きてしまったのだった。
音が途絶えれば、その段階からあっという間に人は離れて行く。他にメンバーがいる訳ではないので、一段落感はかなり強いようだった。まばらな拍手だけで、声を掛けてくれるような人は一人もいなかった。
初めて、弾き語りの人達は実に大変なのだなと痛感させられた。一人で演るって事は、ネタが尽きたら、そして力尽きたら、それでもう終わりなのだ。僕は誰かありきでやって来たので、それを考えずに済んでいた。楽器的な性質の違いはあれど、彼らとは分担の重さが違っていたのだ。
僕は、まだ数十分ほどしか演奏していないというのに、もうそれだけでぐったりとし、ハーモニカを手に持ったまま、行き交う人をただ眺めていた。
つづく
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